INTERVIEW

工場内の雑務から信頼を得て成長
創業110年でビジョン経営を実践する4代目

興味のあるトピックが一つでもあれば、この記事がお役に立てるかもしれません。

  • 800人から30人に激減したピンチを乗り越え、理念を策定
  • ピンチを機に経営理念を掲げ、3つの柱で事業を展開
  • トヨタで学んで28歳で入社し、100周年を機に社長へ
  • 社員の声をベースに「チーム三島」でビジョン経営を実践
  • 社員のやる気と能力を引き出し、成長を実感してほしい

三島光産株式会社は、北九州に本社を置き、名だたる国内大手メーカーに対して工場の操業請負からエンジニアリング、製品まで、幅広いサービスを提供している会社です。1916年に工場内の清掃や雑作業からスタートし、幾多の困難を乗り越えながら4代にわたり挑戦を重ねて、創業110年を迎えました。事業領域は鉄鋼と化学を皮切りに、半導体、自動車、医療、宇宙まで広がっています。4代目代表の三島秀夫さんは、スマイルコミュニケーションをモットーとしながら、状況を冷静に分析し、言語化や見える化によって組織力を上げてきました。「ピンチのときこそ、組織改革や飛躍のチャンス」と長い歴史を振り返る三島さんに、会社の歩みと自身の取り組みについて伺いました。

(聞き手:企業理念ラボ代表 古谷繁明)

800人から30人に激減したピンチを乗り越え、理念を策定

―御社の創業からの歴史を教えてください。

 

当社の歴史は1916年、軍人を退役した三島亀松が北九州で「三島組」を創業したところから始まります。旭硝子(現AGC)牧山工場構内の作業を請け負い、約20年で800人の大業者に成長。ベルトコンベアで運ばれるときにこぼれた材料をスコップでかきあげる雑務から始め、信頼を得て「こんな仕事があるから人を集められないか」と言われて従業員が増えていったそうです。

 

 

1940年、2代目・三島恵三が代表に就任すると、戦後の景気悪化に伴って仕事が激減し、従業員は30数人まで減少してしまいました。そんなピンチを救ってくれたのは、八幡製鉄所でした。当社は戦中に八幡製鉄所から部品加工の仕事をいただき、加工の際に出た鉄くずなどの残材を正直にお返ししていたとのこと。そんな姿勢が印象に残っていたという同社の担当者が、「誠実な会社が困っているなら助けよう」と新たな仕事をくれたのです。そこで恵三は「技術を持った会社になろう」と若手を指導所へ派遣し、後に大きな柱となるめっき技術を習得。また、AGCの進出に伴って、59年から当社も関東エリアに進出しました。一方、59年に八幡製鉄所構内でストライキ闘争があり、社員を大切にしなければと痛感して経営理念を制定。福利厚生を整え、71年には社内報の発行も始めました。

 

―激動の時代に会社を成長させた根底には、誠実な姿勢があったのですね。

 

1976年には、私の父である三島正一が3代目の代表に就任しました。培ってきた技術開発の分野を花開かせ、業種を超えてグループ会社や海外法人を設立。特許は累計437件にのぼり、新しい事業にも挑戦しました。そして2016年、私が4代目として代表を受け継ぎ、父は会長になりました。

ピンチを機に経営理念を掲げ、3つの柱で事業を展開

―御社の事業内容と現在の状況について、お聞かせください。

 

三島光産グループは、国内主要メーカーの工場でなくてはならない製品やサービスを幅広く提供している会社です。日本のものづくりの現場を長きにわたって支えてきた、いわば裏方のプロ集団です。国内に29拠点を置き、グループ会社は国内7社、海外にも2拠点あります。

事業の柱は大きく3つ。最も大きいのは全体の43%を占める「工程請負」で、ある化学プラントでは、ほぼ全ての工程を当社が行っています。次に38%を占めるのが「自社製品」の開発販売事業です。尖った技術をもとに鉄鋼や化学、自動車、医療、宇宙まで、多様な分野で事業を展開。国内で初めて電鋳(めっきの厚付け)を開発して実用化に成功し、海外への輸出と技術供与を推進しています。国内シェアトップの製品が3つあります。そして3つ目が19%の「エンジニアリング」事業で、自動車製造ラインやプラントを中心に、エンジニアリングの設計・製作の一貫施工を行っています。売上のピークは2007年の420億円で、リーマンショックや震災で落ち込み、2025年は399億円の見通しです。

 

 

―経営理念は、八幡製鉄所でのストライキ闘争を機に制定されたのですね。

 

2代目の恵三が1961年に制定した経営理念は「わが社は企業を通じて社会に貢献し、会社即全従業員の繁栄と幸福の理想郷をつくる。これがため、企業第一主義のもとに人格主義的人間関係を尊重し、独創性にあふれた科学的経営を行う。」でした。従業員を大切にしようという思いが込められています。

 

 

さらに父の代になって見直し、1991年から「いきいきとたのしく わたしたち自身のために そして、社会のために」になりました。「お客様」や「社会のため」が先に来るのではなく、まずは自分たちのためにいきいきと楽しくしようというのは、当時、珍しかったのではないでしょうか。さらに、企業行動指針が7つあり、その1つ目も「社員を大切にして、個々人が生き生きとして働けるよう努めます」としています。これが当社らしさだと感じています。

トヨタで学んで28歳で入社し、100周年を機に社長へ

―三島さんは、幼い頃から会社を継ぐことを意識していたのですか?

 

姉が2人いますが、長男で当然跡を継ぐと思われている環境で育ちました。姉とケンカすると「私、そんな人にはついていかないわ」と言われたり、会社の役員が家に来ると「秀夫くんはどこの高校に行くの?」とプレッシャーをかけられたり(笑)。高校は佐賀の弘学館に進学して寮生活を送り、朝から夜までみんなで助け合って勉強に励み、先生方も熱心にサポートしてくれるあたたかい環境でした。それから慶應義塾大学商学部で経営を学び、アメリカでMBAを取得しました。

卒業後は、勉強のためトヨタ自動車に入社。なぜか理系の技術員室に配属されて驚きましたが、あとで聞くと「三島光産の設備が入っている部門が一番勉強になる」と決められたとか。図面は読めないし用語も分からないものの、必死に学びながら業務にあたっているとかわいがっていただき、どうにか務まるようになりました。

 

 

働いていた職場では、工場の工程が止まると部長以下みんなが現場に駆けつけ、自分にできることを考え、一丸となって解決に向かって進んでいました。報告・連絡・相談を徹底し、何かあればいつでもラインを止めていいし、困っていることは何でも話すようにと言われました。上司は部下たちの仕事を把握していて、誰よりも汗をかく。上にいくほど素晴らしく仕事ができる人という印象でした。そして、昨日よりも今日、今日よりも明日と、同じようにするのではなく挑戦することを重視していました。新卒で、非常に恵まれた環境で多くを学ばせていただきました。

 

―それから三島光産に入社されたのですね。

 

はい、トヨタで3年働いた後、2006年28歳のとき三島光産に入社しました。社会人経験の浅い自分に何ができるか、正直なところ自信はなかったのですが、新規事業で挑戦していた部門を任されて、やるしかない。いざ入ってみると、大企業では当たり前のことが、中小企業ではできていないのだと分かり、一つひとつ改善を進めました。そして10年後の2016年、創業100周年のタイミングで父から社長をバトンタッチされました。

 

 

―社長を交代すると決まったときは、どんなお気持ちでしたか?

 

100周年を5か月後に控えた2015年末のことでしたが、社長室に呼ばれていきなり言われたときは驚きました。まだ5年先ぐらいかなと思っていたので。父は私が子どもの頃から出張や会食やゴルフで忙しく、そんなに接点もなかったんです。進学や進路については「自分で考えてやりなさい」と言われただけで、口出しされませんでした。でも、何事にも誠実に対応する姿勢や、やることはしっかりやる父の背中を見ながら育ちました。子どもの頃は遊んでもらえなったので、初めてキャッチボールしたのは私が33歳のとき。父がソフトバンクホークスの鷹の祭典の始球式で投げることになり、練習相手になりました。

社員の声をベースに「チーム三島」でビジョン経営を実践

 

―社長に就任されて、どんなことをされましたか?

 

ビジョン経営を目指しました。当社にはいくつかの課題があると感じていたからです。個々のポテンシャルは高いものの横連携が弱いこと、事業計画や中計などに一貫性がないこと。膨大で分かりづらい資料、報告ばかりの長い会議、原価・KPI管理の弱さ、営業力などの課題を解決するためには、社員全員が腹落ちして、全社一枚岩になれるビジョンが必要だと思いました。

そこで社長になった2016年、「10年後どのような会社でありたいか」について、各事業部の中核メンバーが集まって泊りがけで議論するビジョンキャンプを開催。2025年三島光産ビジョン「いつでも・どこでも・一番に選ばれ続ける『チーム三島』」が完成しました。

 

―皆さんで策定されたというプロセスも素晴らしいですね。

 

多くの人がプロセスに関わったことで、ビジョンが自分ごとになったと思います。そして、課題解決に向けた取り組みを強化し、改善を重ねました。結果として、横連携や営業力の向上、新分野への進出、会議体の向上など、さまざまな成果が出ました。HPやインスタによる知名度アップ、研修や処遇の充実なども図りました。

 

 

さらに、2035年バージョンはグループ会社も一緒に40人ほどで2日かけて、2035グループビジョン「TEAM三島で期待を超える感動を!」を策定しました。また、新たにグループパーパス「“ひたむきな姿勢”と“進化する技”で、豊かな未来づくりに貢献する」も作りました。

 

―いいですね。新たにパーパスを作られたのは、どんな意図があったのですか。

 

経営理念とビジョンは社内向けで、パーパスは外向きにこんなことをやっている会社と整理することが大事だと考えました。過去を振り返ると、どの事業にも「お客様の困ったことを徹夜で対応して助けて評価してもらった」「同じことをずっとやるのではなくて、改善や挑戦を続けてきた」など、たくさんのエピソードがありました。自分たちもそうしてつないでいきたいねと、改めてどのような会社、組織であるのかを見つめ直す良い経験になりました。

社員のやる気と能力を引き出し、成長を実感してほしい

―最後に、今後のビジョンをお聞かせください。

 

組織として収益力が上がり、筋肉質になってきたので、今後は伸ばすほうに力を注いていきたいです。オープンイノベーションによる新規事業開発も推進していて、領域を超えて、新しい価値を創造したいと考えています。

 

 

その原動力になるのは、やはり社員一人ひとりの存在です。社員が楽しく働き、自分の成長を感じられる職場にしたくて、改善提案制度や社内論文制度、三島アワードの表彰、OB会、バーベキューなど、多彩な取り組みを行っています。社員のやる気と能力を引き出すために、自ら考え、挑戦したことを称賛する社風を大切にしているので、そちらも進化させていきたいです。

 

「企業理念ラボ」には、

企業理念の言語化や浸透策の
事例が豊富にございます。
ご関心のある方は
お気軽にお問い合わせください。

企業理念ラボにちょっと相談してみる。 | 企業理念ラボ 理念を作ったその後に、9割の企業が直面する「“浸透の壁”」を乗り越える具体的な方法と事例を解説

三島光産株式会社 

三島 秀夫さん

1978年、北九州市生まれ。慶応義塾大学を卒業後、アメリカのThunderbird国際経営大学院でMBAを取得。2003年からトヨタ自動車で働き、2006年三島光産に入社。2016年から現職。10歳長男を筆頭に3人の父。趣味は水泳。

会社情報

社名
三島光産株式会社
代表者
代表取締役 三島 秀夫さん
本社所在地
福岡県北九州市八幡東区枝光二丁目1番15号
従業員数
単体1,950名、連結2,339名
創業
1916年
事業内容
工程請負、自社製品、エンジニアリング
会社サイト
https://www.mishimakosan.com
  • 企業理念ラボにちょっと相談してみる。 | 企業理念ラボ
  • 【経営者限定 1時間×2回のオンライン診断】企業理念の刷新でスッキリ解決できる「50の経営課題」 | 企業理念診断
  • 【資料ダウンロード】理念を作ったその後に、9割の企業が直面する浸透の壁 | 理念が組織に“共鳴”を起こし、浸透の壁”を乗り越える具体的な方法と事例を解説

RECOMMENDおすすめ記事

INTERVIEW

AI時代、経営者がなすべきことは?
IT企業創業者がAIと経営のリアルを語る

株式会社クミラボ
佐々木 久美子さん
INTERVIEW

創業10年でワクワクを求め理念を再策定、
予想外の連続で社内外に効果あり

株式会社エニシアス
代表取締役社長 玉置 圭介さん
すんごい100年企業
INTERVIEW

ビジョンを屋号に込め江戸時代に創業
ローカルに徹し7代目で世界一に輝く

株式会社喜多屋
代表取締役社長 木下 宏太郎さん
すんごい100年企業
INTERVIEW

工場内の雑務から信頼を得て成長
創業110年でビジョン経営を実践する4代目

三島光産株式会社
代表取締役 三島 秀夫さん