「社員の幸せ」を最優先に据え
年輪経営で50期増収増益を達成
興味のあるトピックが一つでもあれば、この記事がお役に立てるかもしれません。
- 21歳で入社した青年が赤字だった会社を立て直す
- 分かったつもりになっていた理念が腹落ちした瞬間
- 会社の一番の目的は、関わる全ての人が幸せになること
- 理念が浸透したのは「言行一致」による信頼感があるから
- 社員はみんな家族、和を大切にして年功序列を貫く
- 100年カレンダーで人生を俯瞰し、仕事への意欲を高める
「いい会社をつくりましょう」―そんな社是を掲げて、「社員の幸せを第一に考える」経営を貫きながら、50期連続で増収増益を達成している伊那食品工業株式会社。長野県伊那市に本社を置く寒天メーカーで、「グッドカンパニー大賞」グランプリ、「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」中小企業庁長官賞、「最優秀経営者賞」など輝かしい受賞歴を誇ります。トヨタやパナソニックをはじめ多くの経営者からも注目を集め、視察の受け入れは年間200組にのぼっています。会社の歩みと独自の経営哲学、今後の展望について、4代目社長の塚越英弘さんにじっくり聞きました。
(聞き手:企業理念ラボ代表 古谷繁明)
21歳で入社した青年が赤字だった会社を立て直す
―御社の創業からの歴史を教えてください。
伊那食品工業は1958年、井上深見さんが業務用寒天メーカーとして創業しました。このあたりの農家は昔から副業として、冬に天日干しをして寒天を作っていました。1年を通して寒天を作ろうと、大きな借り入れをして始めたものの、うまくいかず赤字も膨らんで…。そんな中、たまたま入社したのが私の父・塚越寛です。実は、父は井上さんの親戚が経営する木材会社に就職したのですが、赤字続きの当社を見かねて、「あちらの会社を何とかしてほしい」と送り込まれたそうです。

―特別に見込まれたのでしょうか?
いいえ、父は21歳で何の経験もなく、単に様子をみてほしいという感じだったと思います。経済的に余裕のない家庭で育った父は、高校在学中に肺結核を発症。3年近く療養生活を送った後、最初に就職したのが木材会社でした。それでも当社に入ると製造から営業、経理まで、専門書を読んで広く携わりました。それから会社は少しずつ軌道に乗っていきました。
―塚越さんが生まれたのはその頃ですね。
私は1965年生まれで、子どもの頃は父に連れられて会社に来て、遊んでいた記憶があります。田舎の小さな会社で、社員は十数人程度でした。それから1983年に父が2代目の社長に就任しました。
―塚越さんは、いつか伊那食品工業を継ごうと思っていたのですか?
井上さんの息子の修さんが入社されていたので、そんなつもりは全くなく、東京の私大に進学しました。バイクが好きで、ツーリングに行ったりレースに出たりして、その資金を稼ぐためにアルバイトに精を出しました。卒業後は、一部上場の機械メーカーに就職。名古屋や東京で営業の仕事をしていました。
―お父様に、入社するように言われたことは?
一度もありませんでした。しかし、結婚して子どもが生まれ、就職から7年ほど経った頃、ふと思ったんです。東京で10年以上暮らしてきて、このままずっと東京にいてもどうなんだろうと。そんな折、母がガンになり、父と電話で話すと「帰って来てもいいぞ」と言われました。いつも落ち着いて自信たっぷりの父が、そのときは声の感じが全然違って…。それで私が地元に戻り、1997年に入社しました。
分かったつもりになっていた理念が腹落ちした瞬間
―会社はすでに有名になっていたと思いますが、塚越さんは、会社やお父様をどのように見ていましたか?
私はバブルを経験していたので、正直なところ学生時代には、みんなで清掃するなんて古臭い会社だなあと思うこともありました。ただ、経営理念は会社でも家でも聞いていて、社員と同じように理解しているつもりでした。2005年に井上修さんが社長、父が会長に就任し、私は専務になりました。

―後継者になるという思いは、いつ頃芽生えたのでしょうか?
初めは全く思っていませんでした。しかし、2003年に父が『いい会社をつくりましょう』という本を出した頃のことです。青年会議所の主催で経営理念の勉強会をすることになり、父と、茨城県で経営支援や講演を行う鬼澤さんという方が講演者になりました。第1部は父の話で、続く第2部で鬼澤さんは父が話したことについて、なぜそうしているのか、とても分かりやすく解説されました。それまでの私は、経営理念を漠然と分かったつもりになっていましたが、鬼澤さんの話を聞いて、「そういうことだったのか」と一気に理解が深まった。そして、自分も経営者として、この理念を引き継ぎ、実現したいと強く思ったのです。
―どんな解説でしたか?
父は感覚的にやっていたので、なぜそうするのかは私なりに考えなければなりませんでした。鬼澤さんはそれを体系づけて、こうだからこの手法でこうする、それにはどんな意味があって、こんな結果になると説明してくれて、日々やっていることの意義や根本にある考え方が頭にスッと入ってきました。それで全てが結びつき、私自身も感覚ではなく心の底から、この考えは絶対に正しいと思えました。それから2019年に修さんが引退し、父が最高顧問、私が社長になりました。
会社の一番の目的は、関わる全ての人が幸せになること
―「いい会社をつくりましょう ―たくましく そして やさしく―」という言葉は、普遍的で深掘りできる余地があり、いい理念の一つの典型だと思います。いつから使われているのでしょうか?
父が社長になってからです。会社のあるべき姿や何を目指すのかをずっと考えていたのでしょう。社員は家族であり、社員をはじめとする関わる全ての人が幸せになることが会社の一番の目的で、かつ存在意義であると父は常々話していました。

―どこから発想されたのでしょう?
いろいろな人の影響を受けつつ、自分の感覚から出てきたのだと思います。若い頃に病気で苦労した分、幸せについて深く考えてきたのではないでしょうか。父は読書家で、家に松下幸之助さんや出光佐三さんなどの本もありました。
―ちなみに、家ではどんな父親でしたか?
あまり家にいなくて、仕事人間という感じでしょうか。会社を立て直すために必死だったと思います。
―塚越さんは理念や方針をそのまま引き継がれ、社長になってから毎年給料を上げていくことを宣言されたそうですね。
はい、もともと毎年給料を上げていたものの、ハッキリと伝えていなかったところを明言しました。毎年上げることを絶対条件としてスタートし、そのためには売上を上げ、利益も出さないといけない。では、今年はどうやって、どのくらい給料を増やすかと考えて実践します。無理せず着実な成長を目指す「年輪経営」です。

理念が浸透したのは「言行一致」による信頼感があるから
―理念を浸透させるのは容易ではありません。御社では皆さんが信じて考えが根づいたのはなぜでしょう?
いろいろな理由があると思いますが、一番は父との信頼関係ではないでしょうか。やはり信頼している人に言われたことは、すんなりと入りますから。

―なぜ信頼されているのでしょうか?
言っていることとやってることが一致していることが重要だと思います。社員の幸せが大事と言うだけでなく、全ての行動がつながっています。ビジネスの世界には、社是や社訓で立派なことを掲げていても、行動が伴っていないケースが多々ある気がします。
―社員を幸せにしたいという思いは、どうやって社員に伝えたのですか?
『いい会社をつくりましょう』という著書が有効でした。内容は父がいつも話していたことですが、社員全員に配るために作ったんですよ。それが評判になって一般にも販売することになり、次に『年輪経営』という本も出しました。

また、当社の基本的な考えとして、「みんなでやる」というのがあります。仕事だけでなく仕事以外にも、例えば朝の清掃や祭り、社員旅行など、みんなで一緒に同じことをやる機会を意識して作っています。普段の仕事は上司・部下、先輩・後輩など上下関係で動くけれど、清掃や祭りは横につながることで、いろいろな話をしやすくなる。会社と社員はもちろん、社員同士の思いも伝わりやすくなっています。
―最近はそういうことを省く会社が多い中で、やはりそこが大事だと。
そうなんですよ。少人数で効率的にやる方が数字上はいいかもしれませんが、人の気持ちの面を考えると、みんなでやった方がいいと当社は信じています。ですから、工場でも一斉休憩を取り入れていて、10時と15時にラインを止めて、みんなで食堂に集まってお茶を飲みます。
―徹底されていますね。最近はどこでも離職が多いけれど、御社は辞める人が少ないと聞きました。
最近はさすがに0ではなく、年間1人か2人は離職してしまいます。
―600人のうち1人か2人というのは、驚異的な少なさです。
社員はみんな家族、和を大切にして年功序列を貫く
―採用ではどのようなところを見ていますか?
試験と面接を行いますが、最終的には感覚です。どんな能力を発揮してもらおうという考えはなく、あえて言うなら、家族として仲間として助け合い、楽しくやっていけそうかを重視しています。
―では、似たような人が多くなりそうです。
比較的そうですね。当社のやり方をいいと思ってくれる人が集まるので。

―最近、さかんに言われるダイバーシティとは真逆ですね。
当社からすると、多様な人を集めるのは「どうして?」と思うわけです。日本人には和があった方が、結果としてもいいものができると思っています。近年は成果主義が広まり、年功序列はもう古いと言われますが、当社は年功序列を貫いています。年功序列に不満を持つのは若い人で、「あんな上司や先輩より自分の方が働いて結果を出しているのに、給料が少ないのはおかしい」と思うのでしょう。問題は制度ではなく、その先輩や上司なんです。でも、当社の場合、そういう上司や先輩がいないから不満が出ないわけです。
―上司や先輩はみんな成果を出されていると。
もちろん能力差があるので、成果はそれぞれです。しかし、一生懸命に取り組む先輩たちに対して敬意を持っています。単に仕事の業績だけでなく、他のところで活躍したり、その人がいると雰囲気が良くなったりなど、その人自身を見ているからです。そもそも人の評価は見方によってガラッと変わり、絶対に正しい評価はあり得ません。でも、年齢は絶対的な数字で間違いないんです。
―会社としての目標設定もされないと聞きました。
他人が決めた目標ではモチベーションを保てないので。本来は理念を通して何を目指すのかを伝えた上で、自分で目標設定をするのが正しいと思っています。
―個人はどんな目標を立てているのでしょうか?
私は見ていないし、営業の数字目標も聞きません。やりたい部署だけ自由にやっている感じです。
―理想的ですね。毎年、増収増益を達成するのは非常に難しいと思いますが、どうやって実現するのですか?
きちんとした方向を向いてやっていれば、人間は年々成長するのに伴い、会社も伸びると考えています。
―年始の挨拶で、その年の目標を打ち出されることは?
毎年、年始に概念的な行動指針を発表します。例えば、今年は「変えるは成長の第1歩」で、何かを変えようという指針に基づき、各部署でやることを決めています。
100年カレンダーで人生を俯瞰し、仕事への意欲を高める
―経営者としての信念や志は、お父様の代と何か変わりましたか?
何も変わっていません。少し前から顧問である父が、もう私が全て話すようにと言ってくれるようになりました。

―信頼されているのですね。
以前は「顧問ならどうするかな」と考えていましたが、今は「自分はこうだから」と考えられるようになりました。
―顧問が作られた立派な理念や業績を受け継ぐのは、プレッシャーがあったのでは。
最初は少しプレッシャーを感じたこともありますが、後を継ぐというより、この考え方をつないでいくと考えると気楽になりました。むしろ、最も大変な理念づくりと浸透までさせてくれていたので、すごくラッキーで楽ですよ。
―心から共感した理念をつないでいくことに集中できるのは幸せなことですね。壁に貼られている100年カレンダーも印象的です。
新入社員研修で100年カレンダーを使います。この中に自分の命日があるはずで、たった1枚の紙に人生が入る。そんな限りある人生で、大きな割合を占める仕事の時間をどう過ごすか。ただお金を稼ぐのか、自分の成長を求めるのか、幸せにつなげるのかといったことを考えてもらうきっかけにしています。

―社員研修はいろいろされているのですか?
新入社員研修の後は、あまりないんですよ。というのも社員は家族で、家族に対して日々研修なんてしないですよね。
―社長に就任されて6年経ちました。今後の展望について聞かせてください。
これから先も、今の考え方を引き継いでいってほしいと思います。日本の有名企業を見ていると、規模が大きくなるにつれて当初とはいろいろなことが変わっていきます。当社は変わらずにどこまでできるか、これは挑戦なのです。

「企業理念ラボ」には、
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事例が豊富にございます。
ご関心のある方は
お気軽にお問い合わせください。
伊那食品工業株式会社
塚越 英弘さん
1965年長野県生まれ。日本大学農獣医学部を卒業後、CKD株式会社を経て、97年に伊那食品工業に入社。購買部長、専務、副社長を歴任し、2019年代表取締役社長に就任。現・最高顧問の塚越寛さんの理念を受け継ぎ、無理せず着実な成長を目指す「年輪経営」を軸に持続可能な経営を推進。
会社情報
- 社名
- 伊那食品工業株式会社
- 代表者
- 代表取締役社長 塚越 英弘さん
最高顧問 塚越 寛さん
- 本社所在地
- 長野県伊那市西春近5074
- 従業員数
- 567名(2024年12月末)
- 設立
- 1958年
- 事業内容
- 寒天製品の製造・販売、ふれあいサービス、農園、清酒、園芸など