INTERVIEW

“やり方”から“あり方”へ。
創業81年、危機から復活した八芳園の理念経営

創業81年、港区白金台に約1万坪の日本庭園を構え、結婚式場を営む株式会社八芳園。経営危機に陥っていた老舗企業をV字回復に導いた、代表取締役社長井上義則氏の理念経営とは?数々の中小ベンチャーのMVV策定・浸透を手がけてきた「企業理念ラボ」代表で 理念浸透アドバイザーの古谷繁明が伺います。

(聞き手:企業理念ラボ代表 古谷繁明)

※この記事は、2024年5月22日に開催された企業理念ラボ主催のサロンイベント「”やり方”から”あり方”へ。有事を越えてきた八芳園の理念経営」のレポートです。一部公開ができない発言は割愛している旨、ご了承ください。

お時間のない方は下記から興味のあるトピックを選んで読んでいただくこともできます。

この記事の目次

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経営危機に陥った老舗企業に入社し、V字回復に導く

古谷

まずは、株式会社八芳園について、その歴史をお聞かせいただけますか?

井上

簡単に八芳園についてご紹介しますと、ここは、天下のご意見番と言われた、江戸幕府の旗本、大久保彦左衛門が余生を過ごした場所だと言われています。その後、日立製作所の設立の一人として知られる久原財閥を築いた実業家、久原房之助がこの庭を作りました。1931年、弊社の先代社長である長谷敏司が、鳥取から上京。彼は、元々料理人で、いろいろな事業を展開していく中で、久原邸の一角で飲食業を始め、やがて久原家からここを譲渡されるに至ったのです。

ただ、その際に条件が一つあって、「一木一草たりとも勝手に動かしたり切ったりしてはいけない」と。その条件は、今なお、引きついでいます。

その後、結婚式場になって、今年、創業から81年を迎えましたが、100年を超える企業に導いていけるように努力しております。

古谷

井上さんが八芳園に着任されてからの歩みをお聞かせください。経営危機、コロナを乗り越えた経験など、さまざまなご苦労があったと思われますが。

井上

現在の肩書は代表取締役社長ですが、私は、雇われ社長です。入社は21年前で、その時の肩書きは、ブライダルアドバイザーでした。その前は同じような業界にいたのですが、当時、ブライダルは、ゲストハウスウエディングと言って、一軒家を貸しきって式を行うタイプが流行っていて、八芳園のような大型専門式場の人気に陰りが見えはじめていました。

 

椿山荘、明治記念館、目黒雅叙園とともに四大専門式場と呼ばれていたのですが、一日に何件も結婚式を行う、いわば、昭和の高度経済期に合わせたモデルでしたね。私が入社した時期は、売上げが落ちて、会社の借金が増え、敷地の一部を売却したり、という状況でした。

古谷

請われて、入社されたのですよね?

井上

はい、たまたま縁があって、当時33歳だったのですが、相談した方たちのほぼ全員に「お前が行って何か変わるのか?」と言われました。最初は断ったのですが、2回、3回と。3回目は三顧の礼ではありませんが、さすがに引きうけるべきだと考えて。

 

実は、その頃に、西田敏行主演の映画「陽はまた昇る」を観て、VHSを開発してビクターをV字回復させる実話に基づいたストーリーですが、自分も西田敏行になれるのではないかと(笑)。それで飛び込んでみたところ、想像を絶するほど大変な思いをしました。

古谷

業績回復のキーマンとして期待されていたわけですね。大変な思い、というのはオーナー企業に飛び込んだゆえのご苦労でしょうか?

井上

特に最初は、肩書なしのブライダルアドバイザーだったので、一番に出社し、最後に帰る毎日でした。それで、気付いたのが、午後3時になると「この方はコーヒー、あの方は日本茶」というように社員に飲み物がサービスされる、かつての役場のような、古い体質の職場だ、と。

 

業績が低迷している企業は、社員の向いている方向がお客様ではなく、上司とか社長だったりすることが多い。それで、「このお茶のサービスを止めよう。そんな暇があったら、お客様にサービスをしよう」と、それが最初の改革、意識改革ですね。ただ、歴史のある企業なのでヒエラルキーが強く、先輩・後輩の関係にも厳しくて、それ一つを変えるだけでもすごい抵抗にあいました。

古谷

そのような企業文化的な部分にテコ入れするのは難しそうですね。お茶出しの習慣をなくすために、具体的にどのようなことをされたのですか?

井上

社員の意識をお客様に向かせるためには、まずは私が一人のプレーヤー、婚礼プランナーとして接客の様子を見せていこうと。そして、社員たちに「お客様に喜んでもらい、感動を与えたくて、この仕事を選んだのでしょう?」と語りかけていく。すると、少しずつ、私のあとをついて来る若手社員が増えてきて、変革の、微妙な揺らぎ、うねり、波動のようなものが生まれてきたと感じました。

古谷

それを感じたのは、入社後どのくらい経ってからですか?そこから数字に繋がるまでの過程、時間は?

井上

入社当初は「こいつ、何しに来たんだ?」という視線を感じながら、コツコツ掃除などをして、3か月経ってから「お茶、止めましょう」という話からスタートを切りましたね。

 

こういう業界は、調理場の人間が、改革にものすごく抵抗するのが常です。ところが、八芳園は総料理長が総支配人も兼ねていて、その人が、100人のお客がいれば100通りのメニューを作るという、顧客第一の考えを持っていたのです。昔の結婚式は、家で行い、地元の食材を使って、家庭料理を振るまったものなので、場所が結婚式場に変わっても、それを実現したい、と。

 

これは、改革の火種を見つけたぞ、と感じて、「100人いれば100通りのメニュー」というコンセプトを盛りこんだ広告宣伝を始めました。お金がかけられないので、チラシを作って配りましたね。そして、顧客との打ちあわせで、生まれ故郷やおふくろの味について、結婚前に彼女に作ってもらった料理のエピソードなどをヒアリングする。それを元に料理長に、料理を考案してもらうようになりました。

 

そのようなストーリー作りの事例が成功して、そこから数字が伸びていきました。料理長の考え方が火種となって、そこに光をあて、最大限にセールス、マーケティング、ブランディングに活かしたのが浮上するきっかけになったのです。私が入社した年は、契約が年間で1000組程度でしたが、それが1200、1500、1700と目に見えて数字が上がっていきました。

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「単なる飲食店にしない」歴史から見出した創業の理念

古谷

ストーリーのある料理、お客様に合わせた提案ということですね。そのコンセプトは、企業理念への接続性、関連性はありますか?

井上

当時は、とにかく契約数を上げることばかり考えていました。その結果、それまで一日の披露宴が10組だったのが、20組になって、するとサービスが追いつかず、披露宴の開始時間が遅れたり、料理の提供に時間がかかったり。その結果、怒られたり、謝罪に伺った玄関先で塩をかけられたこともありました。お客様がお金を貯めて、夢を賭けた瞬間を台無しにしまったので、仕方のないことですけれどね。

古谷

その当時の井上さんの肩書は?

井上

婚礼部門の課長だったと思います。企業理念について考えるようになったのが、その頃です。たまたま講演する機会があって、その場に居合わせた、当時のホテルオークラの専務から手招きされ、「お前、八芳園の歴史を勉強しろ」と一言、言われました。

 

戻ってすぐに八芳園の歴史を調べたところ、創業者長谷敏司の想いを伝える一文を見つけました。「ここを単なる飲食店にしない。日本人にはこころのふるさとを。海外の方には日本の文化を伝える場所にする」と。その言葉が光り輝いて見えましたね。

組織がまとまっていないのは、この創業の理念を我々が守っていないからだと気づきました。私は、ただ、契約をとれ、売上げを伸ばせ、利益を上げろとしか言っておらず、社員たちは仕事をこなすことしか考えられなくなっていたのです。それで、病気にかかっている企業に医者のごとく現れた、古谷さんのお力を借りることになったのです。

古谷

過去の歴史を聞かせていただき、それを元に八芳園のブランディングに繋がるブックを作成させていただきましたが、大元の理念があったので、非常に作りやすかったです。

井上

「心(しん)から」というタイトルのパンフレットを作りましたが、これは、社員たちに向けて「心から、やろう」、一生懸命やろう、という意味ですね。それ以来、私自身の言葉も変わり、社員を一人、二人と食事に誘って、理念浸透に時間を割きました

 

どうやって仕事を取るかということばかり言っていた私が、いきなり、「理念」「心から」「お客様のために」という言葉を使い、創業者の想いを語りはじめたので、社員たちも驚いていました。

古谷

井上さんご自身が激変したのですね。京セラの創業者、稲森和夫さんも同じように社員一人一人と対話されていたと聞いたことがあります。井上さんは、会社の歴史から理念を見出し、社員一人一人と対応し、理念を事業に反映されました。それで業績が上がり、マネージメントにも影響があったと思いますが、その変化について教えていただけますか。

井上

大きな変化を感じたのは、私の入社4年後、契約が2000組を突破した頃のことです。社員を集めて「お客様は八芳園で素晴らしい結婚式を挙げることを楽しみにしている。それが、式当日が終わって、そうではない結果になったとしたら、広告宣伝の『ここで結婚式をしたら幸せになれる』という文句が嘘になる」と話していたら感情が込み上がって、声が出なくなってしまったことがありました。なぜか、その後、社員たちの態度が変わり、積極的にお客を案内するようになりました。

古谷

なぜなのでしょう?

井上

危機感が自分のこととして感じられたのではないでしょうか? 社員たちが、「今日、担当したお客様からこんなドラマチックなお話を伺いました」というようなことを語り始め、そのうち、それをミーティングでも共有するようにさせました。結婚式はドラマチックなエピソードがいっぱいありますから。

 

「病気の親に花嫁姿を見せてあげたい」というお客様のエピソードを現場でも調理場でも共有する。何件の結婚式をこなすか、ではなくて、お客様のためにどんな物語を作り上げていくのか、に意識が変わります

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理念を軸にインバウンド・アウトバウンド事業に乗り出す

古谷

顧客と物語を共有するのは大事なことですが、それを実践されたのですね。人事面で、採用や評価の方法に変化はありましたか?

井上

まず、採用に関してですが、現在、全て異業種からの採用です。弊社はブライダル事業だけではない、という点を強調し、空間デザイン、内装デザインなどを中心に、幅広く事業を広げているところです。というのも、私が生まれた頃の日本の年間婚姻数は100万組ほどだったのに、今では40万台ですから。

 

ブライダルが軌道に乗った後、平日に稼働するビジネスイベントに力を入れようと考え始めました。ちょうど2020年の東京オリンピック・パラリンピックの機運が盛り上がっていた頃で、弊社の基本理念である「外国のお客様には日本の文化を」に基づいて、MICE(Meeting、Incentive Travel、Convention、Exhibition/Event)に参入しようと。

 

それで、オーストラリアのシドニーをはじめ、香港、シンガポールなど、MICEのメッカと言われる場所を訪れました。

 

特にシンガポールは、コンベンションホール、国際会議場、展示場があり、ホテルで大きなパーティが開かれ、また、レストラン、フードコートなどではファミリー層が楽しんでいる。それを見て、シンガポールでビジネスをやろう、と思い立ちました。

 

2018年にJTBと一緒にシンガポールの「ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ」でお花見イベント「SAKURA JAPAN」を企画、開催しました。そこに、福岡県大川市の家具職人が作り上げた組立式茶室「無常庵」を空輸し、茶室を通じた文化体験として、折り紙や、茶道を体験してもらったのです。参加していた17歳の男の子に、なぜ日本の文化に興味を持ったのかを尋ねたところ、日本のアニメーションが好きだから、と話してくれました。

 

そこで、インバウンドを伸ばしていくためには、アウトバウンドで文化と食を組み合わせながら、日本のホンモノを見せていく方がいいのではないかと思いました。そうすれば、これが欲しい、これを作っている場所に行ってみたい、と、実際に日本を訪れたくなるに違いない、と。手応えのようなものを感じましたね。

古谷

そのシンガポールのイベントは、利益はあったのですか?

井上

いえ、投資ですね。その後、2019年に内閣官房オリンピック・パラリンピック推進本部事務局が運営するホストタウン活動に関わることになりました。これは、オリンピックの参加国と各自治体を結びつける活動ですが、弊社はイベント・プロデュース・食文化の担当になり、開催期間中に行われる予定だった「2020ホストタウン・ハウス」のプレイベント「2020 HOST TOWN HOUSE SHOWROOM」を2019年8月に八芳園で行いました。

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他と違うことをする、「異なり」を追求する八芳園のブランディング

古谷

コロナの直前ですね。今はインバウンドも戻ってきていますが、コロナの時期は身動きが取れず、大変だったのでは?

井上

はい、オリンピック関連の仕事が取れたと思ったら、ひっくり返りましたから。どんどん雲行きが怪しくなって、3月15日から2か月間の休館です。コロナの時期はブライダルの予約が入っても、日にちの変更が相次ぎ、式場はずっと空っぽの状態です。それでも社員には給与を払い続けるので、どんどんお金は無くなっていく。おまけにインバウンドの方にシフトして、シンガポールも含めてバンバン投資していましたから。

 

一方で、オリンピック関連の事業が短期決戦で終わった後、八芳園をどうしよう?と考えていた時期でもあり、先を見据えて事業ポートフォリオを組み直すのにいい機会だ、と。

 

まずは、今までに培った企画、クリエイティブの力を活かせる、空間デザインの事業を伸ばすことにしました。また、社内システムのデジタル化が遅れていたので、コロナ期間を活かしてDXチームを作り、DX推進事業を起こしたり。このようにBtoCからBtoBにシフトして、さらに自治体との仕事、BtoG(government)にも取り組むようになりました。

 

というのも、緊急事態宣言で、農作物が流通しない問題が発生していたのです。それで、2020年8月に港区白金台プラチナ通りに、ポップアップ型ショールーム「MuSuBu」を開設し、那須塩原市の特産物などのPRイベントを行いました。

古谷

BtoCから、BtoB、BtoGへの展開が面白いですね。八芳園のブランディングは、他社と違うことをやってきた「異なり」を追求することだと話されていたことが印象に残っています。

井上

ブライダル事業で培ったプロデュース力をMICE、地方、インバウンドなどの事業に、さらに将来的には街づくりにも転用することも考えて、総合プロデュース企業としてブランディングしていこう、と。ただ、オーナーにその話をしたところ、衝突してしまいました。

古谷

オーナーとの関係は難しいと想像がつきますが、理解は得られたのですか?

井上

「八芳園が100年以上続くために、これをやるのです」と強調したところ、「お前の言っていることは全く分からないが、それで八芳園が維持できるなら」とOKが出ました。今は、会話も穏やかになっていますね。

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「“やり方”から“あり方”へ」の理念に基づいた事業創造と人材育成

古谷

人材育成について、「“やり方”から“あり方”へ」という理念を掲げられて、“やり方”を教えても管理職や経営者は育たない、“あり方”をしっかり伝えていくべきだというお話をされていました。

井上

育成に限らず、理念に則して事業を作り、人材を育成し、商品、サービスを提供する、それだけです。

 

私は、オーナーたちがこれまで培ってきたことを預かっているだけの雇われ社長です。ただ、創業者の理念に共感し、夢やロマンも感じていて、八芳園が世界の大舞台になればいいと思っています。

 

そこには、“あり方”と“やり方”があって、“捉え方”もある。ただ、“捉え方”は変わるものです。“あり方”を作りながらも、物事にはいい面も悪い面もあるという“捉え方”をして、その集合体を束ねながら、“あり方”を超えていくようなことをやるのがリーダーシップではないかと。

古谷

深いですね。“あり方”の理念は今、どんな言葉で伝えているのですか?

井上

八芳園は、創業以来この場所でお客様を迎え、日本文化を伝えています。総合プロデュース企業として事業領域が広がり、社員一人一人がプロデューサーとしていろいろな地域で活躍することになりますが、その時に必要なのがパーパス。それで、2022年頃に作ったパーパスが「日本を、美しく」です。

 

海外から来ている人は、日本の文化、美意識に魅了されているのがわかります。日本のモノ、手業、そして手業を支える道具に惹かれている様子を見て、日本は「美しい」という言葉で勝負できると感じ、それをもっと美しく変えていく、というコンセプトですね。

古谷

先ほどの“捉え方”についてもう少し説明していただけますか?

井上

“捉え方”というものは人によって違いますよね。ある人にとっての“美しさ”の捉え方は、言語化、可視化されて初めて理解できます。ただ人によっては、それは違うんじゃないか、と感じることもある。そこで、価値観をダイバーシティ&インクルージョンしていく。「その“捉え方”は面白い」という視点が、イノベーションの根源になるかもしれません。後は、そこからどうやってビジネスの火種を見つけていくのか、が大切な作業です。

古谷

違いをプラスの材料として捉えるということですね。ただ、違いをどこまで認めるのか? あまりにも違う考え方だと理念から外れてしまったり。その点はどう認識されていますか?

井上

まさに一番悩んでいるのはその点ですが、理念はベクトルを合わせるためにある、という認識です。でも、パーパスを考え始めるとちょっと違う。理念という言葉があって、ビジョンというのはバックキャスティングみたいなもの、理念からリーダーが描いている未来の状況です。その後にミッションがあって戦略や戦術があるという順番でしょう。

ところが、パーパスに関しては、「美しい」という言葉に対する価値観が人によって違うので、否定せずに、全部を取り込んで集合体にしながら、新しい価値創造に繋げる。それを基にアップデートしてヴァリューアップしていく時代に入っているのだと感じます。

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創業から守り抜いてきた理念は、大切な「資本」である

古谷

反発を通じて、対話が生まれることに一番の価値がある、と。

井上

理念についていろいろと勉強して本も読みましたが、人によってビジョンやミッションの捉え方が違います。私にとって、理念とは創業者の考えたこと、普遍的な言葉ですね。創業者がその言葉を掲げた時にどんな世界を見ていたのかは分かりません。でも、今の人間はその言葉を受け継ぎながら、10年、20年、30年後のビジョンを描かないといけない。経営者の妄想したものを可視化して、クリエイティブにデザインできる人が必要です。

 

さらにパーパスになると、人それぞれ価値観が違うので、みんなの言葉を一つにまとめていく作業が、パーパスデザインなのだと思っています。

古谷

参考になります。総合プロデュース業がテーマとなり、それを進めていく先にどういう世界が現れるのか、とか、何を目指してプロデュースするのかがビジョン、その画がくっきり見えるとみんながそれを目指そう、となるイメージですね。

井上

採用に関しても八芳園は結婚式場のイメージが強いので、それだけではなく、空間デザイン、クリエイティブディレクションなどいろいろなことをやっている総合プロデュース業だと説明した方が、人を集められます。

古谷

確かに、領域、業種を広げた方が、いろいろな人材が集まりますね。「理念が資本」とも仰っていましたが、どういう意味でしょうか?

井上

最近、資生堂の社長、会長を務めた福原義春さんの「文化資本の経営」を読んで、考えたのが、八芳園の庭を日本庭園と捉えるか、文化資本と捉えるかということでした。

 

久原房之助は、ここに赤松を植えた。これは自然資本です。「赤松を中心に庭を整えろ。俺は日本庭園を作っているんじゃない」という言葉も残しており、それに従って、単に整えるという作業をしていたら、日本庭園に変わった。つまり、自然資本が文化資本の日本庭園になり、それが今では収益を上げる経済資本になっている。これはESGにリンクしている、と。

 

企業人にとって大切なことは、「ここを単なる飲食店にしない。日本人にはこころのふるさとを。海外の方には日本の文化を伝える場所にする」という創業時の理念を資本と捉えて、それを活かしながら、組織を成長させていくことではないかと。今、そんなことを研究している最中です。

古谷

それが働くことのモチベーションにも繋がる、と。

井上

弊社の企業理念の「日本のお客様には心のふるさとを。海外のお客様には日本の文化を。」の 「心のふるさと」とは何だろう?と追求していくうちに、次世代の社員たちは、2025年に予定している大リニューアルの際には「結婚式場」は止めましょう、と提案して来ました。つまり、「心のふるさと」、結婚をスタートとして結婚周年記念のお祝いができる新しいセレブレーションホールをつくり、生涯式場にする、というアイデアです。理念から新たなビジョンが生まれ、それを資本に当てはめると、火種になるのです。

古谷

歴史のある会社は、その歴史の中に火種があるかもしれませんね。井上さんご自身は、この後どんな人生を歩んでいきたいと思われますか?

井上

19年後に八芳園は100周年を迎えるので、長寿企業、持続可能な企業として100年企業を成立させたいです。

 

ここで、ぺーぺーの平社員から代表取締役になれたことに感謝しています。しかも東京のこの大舞台で、政府主導のオリンピック関連のイベントやバイデン大統領と岸田総理の非公式夕食会を実現できたのですから、八芳園が私の人生をダイナミックに変えてくれたのです。もちろん、歴史の重み、オーナー経営者との関係など悩まされた面もありますが、いい経験をさせてもらったと思っています。あと19年頑張って、100年企業にたどり着ければ、それはお金出しても買えない経験です。

 

今後は、リーダーとして「言葉の意味、出来事の意味を見出し、それを一つの資本に変えてみろ」と誘導していくことによって、100年企業経営計画書みたいなものを作りたい、とぼやっと考えています。

 

八芳園は普遍で、赤松を中心に木一本、ずらしてはいけない。壊して新しいもの作ることができません。この資本を活かして、料理人として大きな志を持って上京した創業者の理念を、赤の他人である私が継承しながら、社員と一緒に、これからも日本庭園のあるべき姿、“あり方”を追求していきます。

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【質問】利益の追求と社会性や会社としての大義は、どのように折り合いをつけていらっしゃいますか?

質問1

利益の追求と社会性や会社としての大義は、どのように折り合いをつけていらっしゃいますか?

井上

公益と利益の両輪を追求するという主張を、私はよく発言していますが、思うに、今までの企業は、株主のために、という、株主資本経営でした。現在は、環境問題や人口減少問題などを抱えて、企業経営をしながら社会作りもしなければならない。

新しい世代の人たちは学校で持続可能性についての教育を受けているので、公益を考えずに営利を追求する企業には入りたくないという姿勢が見受けられます。

 

私は先ほども挙げたMICEに興味を持っていて、日本は2030年には観光立国として16兆円規模、6000万人の訪日外国人を集めるという目標を掲げているので、観光庁を観光省に格上げして、もっと予算を使えるようになれば、地方も大きく変わって行くのではないかと思います。

 

品川高輪エリアでも、学会やコンベンションを受注しよう、と東京観光財団と海外のビジネスイベント運営団体を、東京、特に品川高輪に誘致する企画をJR東日本も参画するDMO GATEWAY高輪・品川として進めています。昔ながらの品川エリアの企業などと連携しながら一つの会場にイベントや学会が集中するのではなく、エリア全体の公益になるものにしましょう、と。もちろん同時に八芳園の営利を求めなければいけないので、その両立に悪戦苦闘しているところです。

古谷

繋ぎの役割でビジネスになることもあるけれど、全体のことも見なければならないのですね。

井上

はい、まち全体で海外を誘致する方向です。一方でこのエリアのコンパクトシティ化も進んでいると肌で感じています。レジデンス、ホテル、病院があって、インターナショナルスクールもある。まちづくりを考えると営利と公益の両方を追求するという考えは必然だと思います。企業の中で営利のPLと公益のPLの両方を作り、公益の追求が自社の営利に跳ねかえるような流れも起きるのではないでしょうか。

質問2

私は創業59年の会社の雇われ社長で、「アップデートすること」をミッションに、マーケティング支援の会社を経営しています。お話の中で、ご自身をアップデートしながら、会社のさらにいい未来をアップデートすることが、とんでもない次元で体現されていると感じました。そのようにアップデートしていくことで新しい方針や目指す姿を作りだす上で、ご自身、大切にされている考え方とか価値観があれば、お伺いしたいのですが。

井上

一つしかありません。八芳園があり続けること。では、あり続けるためにはどうすればいいのか?と、その一点です。それを否が応でも感じるのが、お客様に「親子3代、八芳園で結婚式を挙げました」と言われたり、ご高齢の方から「ここで式を挙げたパートナーは亡くなりましたが、ここは変わりませんね」と言われたりする時です。あり続けなければいけない、と感じます。アップデートをするためには、環境がどんなに変わっても、あり続けていき、歴史を背負いながらも、持続可能なことに取りくんで、次にバトンを渡しつづける。そうしているうちに結果的にサスティナビリティ経営ができるような気がしています。

質問3

北海道で学校法人の理事長を務めております。インバウンド、アウトバウンドをリンクさせようというお話を伺いましたが、私の学校法人でも少子化でマーケットが縮小しているので、何らかの形で海外との交流を始めようと試みています。複数の東南アジアの国と提携したり、出資を始めているところなのですが、まだ果実を産む段階ではありません。

 

海外への投資、出資、何かイベントをしようとすると、経費や手間ひまがかかりますが、キャッシュポイントというのか、どういうポイントを押さえればいいのでしょうか。また、海外交流、取引きを始められたきっかけなどを教えていただけますか?

井上

正直、海外で成功してはいないので、偉そうなことは言えないのですが、結局は人脈、ネットワーク作りが大事だと思います。最初に一緒にシンガポールに行った女性社員は、当時は英語も話せなかったのに、英会話を勉強して、ビジネス商談会に参加し、どんどんネットワークを作って、今ではグローバルセールスを引っ張っています。

企業のトップが道を開いて、次の世代が経験を積んでしっかりビジネスにして行く、そういう形がいいのではないかと思います。

古谷

素晴らしいお話、ありがとうございました。

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株式会社八芳園 

井上 義則さん

1970年福岡県出身。ブライダル企業へ就職。サービス、営業、企画、広報を経験後、婚礼システム販売会社、ブライダル専門学校の講師などを経験。
2003年9月八芳園に入社。
年間1000組ほどに落ち込んでいた婚礼数を、わずか4年で2000組超へと急増させ業績をV字回復に導く。
2007年取締役営業支配人、2008年常務取締役総支配人、2013年取締役専務総支配人、2021年10月取締役社長に就任。2023年10月 代表取締役社長に就任

会社情報

社名
株式会社八芳園
代表者
代表取締役社長 井上 義則さん
本社所在地
東京都港区白金台1-1-1
従業員数
370名(正社員・契約社員/グループ全体)(2023年10月現在)
創業
1943年
事業内容
プロデュース事業、コンテンツ事業、DX推進事業、空間デザイン事業
会社サイト
https://www.happo-en.com/
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