INTERVIEW

代替わりからのヒーローデビュー
成長し続ける老舗薬局5代目の挑戦

もし、一つでも当てはまることがあれば、この記事がお役に立てるかもしれません。

  • 歴代の社長が時代の先を読み、新しいことに挑んできた
  • 課題を分析し対応して、業績悪化と大量離職から回復
  • エンタメで健康を守るため「オーガマン」を創出
  • 経営理念が社員に必要と思えず、全体を明確に整理
  • 会社の規模に合わせて、社員への伝え方を変えてきた
  • 医療従事者バー、人材紹介、動物医療など次々と挑戦

1902年に創業し、福岡県を中心に調剤薬局とドラッグストアなど121店舗(2025年9月現在)を展開する株式会社大賀薬局。5代目社長の大賀崇浩さんは26歳で入社すると、課題を抱えていた事業を見事に立て直し、36歳でトップに就任しました。まわりの反対を押し切って新しいチャレンジを重ねてきた歴代の社長と同様、自身も社長自ら「オーガマン」というヒーローを誕生させ、社内外をアッと驚かせました。創業123年の沿革から、経営理念を整理して浸透させたプロセス、斬新な新規事業まで、エネルギッシュな歩みに迫ります。(聞き手:企業理念ラボ代表 古谷繁明)

歴代の社長が時代の先を読み、新しいことに挑んできた

―御社には長い歴史があります。創業からの沿革をかいつまんで教えてください。

 

大賀薬局は、2022年11月に創業120周年を迎えました。創業者は私の曾祖父・可壮(かそう)で、明治35年に筑紫野市二日市で「大賀商店」を開業。薬や化粧品をはじめ、食品、衣料品、タバコなどをそろえ、当時は珍しく夜中まで営業して、近隣に配達もしていたそうです。今でいうコンビニ+Amazonみたいなものでしょうか。

 

 

―120年以上前ですから、画期的だったでしょう。

 

その後、医薬品の問屋のような事業を始めて、1927年に天神に出店。大手製薬会社の九州総代理店として、薬品卸問屋になりました。

 

一方、可壮のひとり息子、私の祖父にあたる栄一は、第二次世界大戦に出兵しました。陸軍少佐大隊長だったため、終戦後に戦犯としてインドシナ半島に残されたものの、現地での振る舞いが良かったことで処刑を免れて生還したようです。

 

栄一はアメリカの医薬分業に着目し、日本もそうなると予想。薬剤師の昌子と結婚して、1962年に九州初の本格的な調剤施設を天神に開設しました。しかし2年後、栄一はがんのため51歳の若さで亡くなり、さらに2年後には可壮も永眠。昌子はまだ小中学生の3人の子どもを育てながら、社長の重責を担うことになりました。

 

―祖母の昌子さんには経営の知識があったのでしょうか?

 

いえ、知識がなかったため、病床の夫から商売の全てを学び、大学ノートに書き留めていました。そして、「企業にとって現状維持は後退でしかない」という夫の言葉を胸に、医薬分業の夢を引き継ぎ、拡大路線を歩みました。

 

祖父の栄一はリーダーシップを発揮して、地域を良くしていくことにも注力していました。西鉄の商店街の店員さんを教育する店員学校の校長や、町内会長も務めました。また、祖母の昌子は薬剤師を目指して上京し、全国でまだ100人もいない時代に薬剤師になり、結婚前は病院に勤務していました。

 

―そんなふたりがめぐり逢い、いち早く調剤薬局を展開されたとはすごい。

 

それまでは病院内で薬を出していましたが、薬剤師が薬局でチェックして出すことで、薬の重複や過剰投薬を確認できて、安全性や医療の質の向上、医療費の適正化につながります。祖母はそんな目的を熱心に説いて、賛同してくれる病院を見つけながら調剤薬局を増やしていきました。

 

―次に継いだのは、社長のお父さまですね。

 

父の研一は医薬品の問屋に勤務し、東京から福岡に戻って1973年に入社しました。これからの薬局のあり方を模索する中で、アメリカのドラッグストアを視察し、日本でもこのようなスタイルになると確信。90年に社長に就任し、その年に九州初の本格的なドラッグストアを宇美町に開設しました。売場面積160坪以上のロードサイド型で、全役員の反対を押し切って挑戦したところ、オープン時は8台のレジに長蛇の列ができるほど大盛況で。郊外型のドラッグストアを次々と出店しました。

課題を分析し対応して、業績悪化と大量離職から回復

―大賀さんは子どもの頃から父親の後を継ぎたいと思われていましたか?

 

継ぎたいと強くは思ってないけど、長男だから継ぐものと考えていました。ただ、父が多忙でほとんどコミュニケーションを取れず、高校生のときに母から「好きなところで好きなようにしたら」と言われ、東京の大学で経営を学びました。卒業後は商社の仙台支店で2年働いたところで、札幌支店の立ち上げを打診されたという話を父にしたら、「どこまで行くんだ。福岡に帰ってきて手伝うんじゃないのか」みたいな話になりまして。そこで初めて帰ってきてほしいと思っていたと分かり、2008年に弊社へ入社しました。

 

 

―当時はどんな状況でしたか?

 

全国資本のドラッグストアが福岡にどんどん進出して、業績がかなり苦しい時期でした。赤字なのに「何とかなる」とさほど危機感がなく、かといってビジョンも戦術もない状況で…。私は悪化する業績に焦りつつも、業界のことが全く分からないので、まず店舗スタッフから始めました。

 

―他社を経験されたことで見えることがあるのでしょう。

 

数年でドラッグストア事業が前年比90%まで落ち込み、社内から「崇浩さんにドラッグストアの事業部長をしてもらおう」という声があがり、29歳で事業部長になりました。厳しい店舗は閉店し、古い店舗は復活できるところを優先的にリニューアルするなどテコ入れしました。ある程度、持ち直したタイミングで、今度は調剤薬局事業で大量離職が発生。ドラッグストア事業部長と調剤薬局事業部長をスイッチして、今度は調剤薬局事業部長になりました。薬剤師が足りないため新規出店をストップ。大学と信頼関係を築いて新卒採用の仕組みを作り、中途も採用して、出店を再開しました。

 

―2016年に副社長になり、翌年には社長に就任されました。

 

副社長になってからは父の話を社員に通訳しながら、役職定年を作り、うまく事業承継できるように努めました。そして、36歳で私が代表権のある社長に就任し、父には会長になってもらいました。当時の役員の方々には会社の課題について語り、プロパーと外から入ってきた方をバランスよく配置。今は私が43歳になり、取締役は40代から50代前半までと若返りました。

エンタメで健康を守るため「オーガマン」を創出

 

―2019年にデビューした「薬剤戦師オーガマン」は一躍話題になりました。なぜヒーローを取り入れたのでしょうか?

 

もともと仮面ライダーなどのヒーローが大好きでした。大学生のとき、仮面ライダーの平成ライダーシリーズが始まったと母親から聞き、見始めたら思いが再燃しました。

 

日本では使われずに廃棄される薬が年間約1000億円分にものぼります。この残薬問題に立ち向かうヒーローとして誕生したのがオーガマンです。子どもには薬を最後まできちんと飲むことの大切さを、大人には薬剤師が薬の飲み合わせや量を調整することで薬を減らせること、生活習慣の改善もサポートできることを伝えています。決めセリフは「薬飲んで、寝ろ。」。ヒーローショーをはじめ、保育施設でのレクチャー、特撮ヒーロー番組のテレビ放映、お薬手帳などを通して、「薬育」を行っています。

 

―奇抜な企画ですが、社内で受け入れられたのでしょうか?

 

はじめは大反対されましたが、エンターテイメントの力によって人の行動を変え、みなさんの健康に貢献したいという信念を貫きました。結果として多くのファンができて、メディアなどでも取り上げられて、会社のPRや人々の健康を守ることに貢献できていると実感しています。

 

―御社では代々新しいものを生み出してきたのですね。

 

業態の寿命はおよそ30年と言われています。弊社は創業者から5代目の私まで、代表それぞれが新しいことにチャレンジしてきたからこそ、120年以上続いてきたのではないでしょうか。

経営理念が社員に必要と思えず、全体を明確に整理

 

―御社では「奉仕こそ我らの務め」という言葉を創業時より大切に守ってこられたとのこと。これは企業理念でしょうか?

 

「奉仕こそ我らの務め」という言葉は祖母の時代から使われていました。父の時代には「奉仕こそ我らの務め」を社是として掲げ、経営理念は「従業員満足 お客様満足」、行動指針は「素直に 明るく 元気で 即実行」としていました。ただ、正直なところ、私は社是とは何かよく分からないし、経営理念は社員にとって必要だと思えなかったんです。

 

―どういうことでしょう?

 

経営理念は、経営者としてどうあるべきかという理念で、社員全員で共有する必要はないのかなと。一方、社員と共有すべきは、私の言うミッションステートメント「奉仕こそ我らの務め」を分かりやすくしたものと、「お客様とのお約束」としてお客様に対して私たちがどう行動していくかだと考えました。ですから、社員としてやるべきことを浸透させるため、社是・経営理念・行動指針を見直し、私が納得できるものに変更しました。

 

―現在のスタイルについて教えてください。

 

まずは「お客様とのお約束」として「ずっとこのまちで あなたとあなたの家族を守る薬局であり続けます。」と誓いを掲げました。次に、我々がやるべきことは「ミッションステートメント」の「奉仕こそ我らの務め」で、社員奉仕、顧客奉仕、地域奉仕という3つに分けて簡潔に表現しました。そして、経営理念ではなく「社長の決意」として、「地域一体企業」「接遇日本一薬局」を目指すと宣言しています。

つまり、お客様に対してどうあるべきか、社員のミッション、私が社長としてやるべきことの3つの柱にしたのです。社員は家族みたいな時代から企業になっていくと、経営理念を全員で共有するのではなく、それぞれの役割を明確にしたかった。社員が自分たちのミッションをきちんと理解していれば、現場でどんな行動をすべきか分かりやすくなりますよね。

 

―いつ頃どのように作られたのでしょうか?

 

社長になってから、マーケティングや広報担当者とプロジェクトを発足し、基本的には私が言葉を考えました。経営戦略を考えるのは社長の仕事だと思っているので。2020年1月に発表して、「OHGA WAY」として紙を社員に配っています。そして、朝礼で唱和しています。もちろん社長の決意は唱和しないですよ(笑)。

 

会社の規模に合わせて、社員への伝え方を変えてきた

―これらを浸透させるために、どんな活動をされていますか?

 

会社の規模に応じて、変わってきました。社長になってすぐは「ともつく(ともに会社をつくる)」をテーマとして、私が3年ほどかけて全ての店舗を回り、全社員に直接話をしました。当時は社員が1200人くらいで、オーガマンをする意義が現場の社員に理解されず反対派が多かったのですが、その場で思いを伝えることもできました。

 

ただ、店舗と社員が増えて続けるのは難しくなり、次は車座会に。ブロックごとに店長などを対象とした飲み会を月1回開き、2年ほどで全ブロックを回りました。また、私の代から年に1回、取引先や金融機関も招いて経営方針発表会をスタート。それを動画にして全店に配信しています。あとは新年店長会議を年に1回開催して、私の方針を説明。さらに、2024年10月に著書『ヒーローマーケティング』を出版し、オーガマンを生み出した意図や紆余曲折、実績まで紹介しました。

 

 

―いろいろな工夫と活動をされているのですね。

 

今年1月からは月2回、社内報「オーガヒーロー通信」を発行しています。楽しく読める内容で、オフィスや店舗でホワイトボードに貼ったり、休憩室に置いたりして、みんなに読んでもらっています。月2回という頻度だからこそ社内で起こっていることや私の思いがタイムリーに伝わっていると感じます。

 

 

―素晴らしい。人事評価には理念を反映していますか?

 

評価制度には直結させていませんが、「OHGA WAY」と前年の売上実績など会社に関するテストを社員に受けてもらっています。評価が曖昧にならないように、評価制度には数値化できるものしか入れていません。今は接遇をどう数値化するか検討しているところです。

医療従事者バー、人材紹介、動物医療など次々と挑戦

 

―経営者としての信念を教えてください。

 

大賀かそれ以外かという徹底した差別化です。調剤薬局やドラッグストアは、基本的にどこでも一緒ですから。その中で大賀薬局が選ばれる理由を作り、地域になくてはならない存在になるための差別化がポイントだと思っています。

 

―それがオーガマンというヒーローの役割ですね。

 

まさにその通りです。エンタメによってしか人の行動を変えられないというのも私の信念です。人の行動変容を起こすには、楽しいか恐怖かしかないと思うけれど、恐怖では続かない。働き手に対しても、健康に関するサービスをする会社としても、エンタメによって行動を変えて、子どもたちが笑顔になってほしい。子どもたちが憧れ尊敬する会社を目指しています。

 

―最後に、現在チャレンジしていることを聞かせてください。

 

大きく4つあります。医療財政はどんどん悪化し、病院は厳しい状況に陥っています。そこで少しでも役に立ちたいと思い、人手不足に悩む病院や介護施設を対象にした人材紹介の会社を昨年11月に立ち上げました。もう1つ、医療従事者のコミュニティを作るために、今年2月に医療従事者限定の会員制のバーをオープンしました。働いているのも医療従事者で、会員は医師だけで120名を超え、全体で1200名以上になり、毎日大盛況です。

 

3つ目は、動物医療×薬剤師の分野です。動物の医療には人間の薬が7割ほど使われていますが、薬剤師が関わることがありませんでした。一昨年に動物の調剤薬局を開設し、今は40ほどの動物病院から処方箋を受けています。薬剤師が関わることで、動物や飼い主にとって、もっと人間に近い医療を提供していきたいです。

 

4つ目のチャレンジは、オーガマンが出演する福岡発の特撮番組「ドゲンジャーズ」を軸に、ドゲンジャーズ経済圏を作ることです。ドゲンジャーズのパートナー企業として120社以上が集まっています。企業や行政と連携した地域創生のモデルケースとして、全国に広げていきたい。すでに四国や北陸では立ち上がっていて、地域での連携が進み盛り上がっています。

 

「企業理念ラボ」には、

企業理念の言語化や浸透策の
事例が豊富にございます。
ご関心のある方は
お気軽にお問い合わせください。

企業理念ラボにちょっと相談してみる。 | 企業理念ラボ 理念を作ったその後に、9割の企業が直面する「“浸透の壁”」を乗り越える具体的な方法と事例を解説

株式会社大賀薬局 

大賀崇浩さん

1982年生まれ。東京理科大学卒業後、大手商社を経て2008年に入社。調剤薬局事業本部長、ドラッグストア事業本部長などを経て、16年に代表取締役副社長、17年に5代目代表取締役社長に就任。2019 年に「薬剤戦師オーガマン」としてデビューし、2024年には著書『ヒーローマーケティング』を出版。

会社情報

社名
株式会社大賀薬局
代表者
代表取締役社長 大賀崇浩さん
本社所在地
福岡県福岡市博多区博多駅前3-9-1 大賀博多駅前ビル3F
従業員数
社員1469名 (令和6年10月末時点/パート・アルバイト含む)
創業
1902年
設立
1949年
事業内容
医薬品・化粧品・化粧雑貨・生活雑貨小売、処方せん調剤
会社サイト
https://www.ohga-ph.com/
  • 企業理念ラボにちょっと相談してみる。 | 企業理念ラボ
  • 【経営者限定 1時間×2回のオンライン診断】企業理念の刷新でスッキリ解決できる「50の経営課題」 | 企業理念診断
  • 【資料ダウンロード】理念を作ったその後に、9割の企業が直面する浸透の壁 | 理念が組織に“共鳴”を起こし、浸透の壁”を乗り越える具体的な方法と事例を解説

RECOMMENDおすすめ記事

INTERVIEW

真摯な社是を掲げて危機を乗り越え
兄弟の舵取りで会社をアップデート

コマニー株式会社
代表取締役社長 塚本 健太さん
すんごい100年企業
INTERVIEW

愚直に技と心を磨いて海外に進出
日本のものづくりを守る町工場の奮闘

株式会社TEKNIA
代表取締役 高橋 弘茂さん
INTERVIEW

「社員の幸せ」を最優先に据え
年輪経営で50期増収増益を達成

伊那食品工業株式会社
代表取締役社長 塚越 英弘さん
すんごい100年企業
INTERVIEW

ミュージシャンをやめて事業承継し
縮小するジュエリー業界で飛躍的に成長

フェスタリアホールディングス株式会社
代表取締役社長 貞松 隆弥さん