INTERVIEW

斜陽産業での事業承継、地方でも
「大胆な経営改革」が成功した舞台裏

もし、一つでも当てはまることがあれば、この記事がお役に立てるかもしれません。

  • 先代からの事業承継後、組織改革に着手したいが、何から始めたらいいのか分からない。
  • 経営理念や「バリュー」をどのように定め、どのように活用すればいいかを知りたい。
  • 事業の拡張に応じて、どのように理念をアップデートするのかに興味がある。
  • 斜陽産業から脱却するために事業をどう展開したらいいか、ヒントがほしい。

1956年に創業した南福岡自動車学校をはじめ、国内外で事業を展開する関連会社を束ねるミナミホールディングス株式会社。30歳で斜陽産業と言われる教習所業界の三代目社長となった江上喜朗さんは、大胆な経営改革を決行して、今や福岡から全国、そして世界へと事業のフィールドを広げています。

オリジナリティのある企業理念とパーパス、バリュー、そして経営者としての信念や今後の展望まで、江上さんのクールで熱い思いに迫りました。

(聞き手:企業理念ラボ代表 古谷繁明)

戦後、警察官だった祖父が自動車学校を設立

―御社の創業からの沿革について教えてください。

今でこそ11社を擁するグループ会社になっていますが、もともとは今からさかのぼること70年前、僕の祖父が1956年に作った南福岡自動車学校から始まりました。戦後の日本において、当時は道路が整備されてモータリゼーションが始まり、運転免許を取りたい人が増えたために受け皿が足りなかったそうです。そこで警察官だった祖父は、安全運転をしっかり教える自動車学校を作りたいと思い、40歳くらいで退職。最初は福岡市博多区千代の借りた土地で始めて、数年後に今の大野城市下大利に移転しました。資金は自分の退職金と借金でした。

自動車学校はとても広い土地が必要なので、村長さんを味方につけて、地元の農家さんたちを一緒に口説いて回り、どうにかまとまった土地を使えるようになりました。それから、駐在していた米軍の長官のところに行って頭を下げたり、ブルドーザーやショベルカーを借りて自分で整地したりと、ひとりでゼロから作り上げていったそうです。

 

 

―自ら整地されたのですか。そして、お父様が2代目、江上さんが3代目として継がれたのですね。

はい、父が継いでから九州ではかなり大きな規模になり、新卒採用を始めたり、教習車にBMWやベンツを導入したりと面白いことをやっていました。僕は大学進学で福岡を離れて、福岡に戻り入社したのが2010年29歳のときでした。財務関係を確認すると、18歳人口が減り、免許取得率も少しずつ減るのにつれて、20年近く売上がきれいに右肩下がりで、「マジか!」とショックを受けました…。

そんな中、ちょっと不謹慎で恐縮ですが、印象的なことがありました。2011年に東日本大震災が起こり、枝野官房長官が放射能の被害について「ただちに身体に影響はありません」とメディアで繰り返し発言していて、その言葉が自分にすごく刺さったんですよ。うちの会社も、入校生の減少に合わせてコストダウンや人員削減をしていけば、ただちにつぶれるわけじゃない。でも、このままで10年20年後にこの会社があるのかなと考えるとゾッとして、改革をしなければと強く思ったんです。

「かめライダー」と経営理念で会社を改革

―どのように改革されたのでしょうか。

2011年に30歳で社長になってから1年後、それまでの経営方針から大きく舵を切り、新しい経営理念と経営計画を全社員の前で発表しました。ひとつは自ら交通安全のヒーロー「かめライダー」に扮して新たな価値を創造すること。もうひとつは、教習生には「愛あるおせっかい」で対応し、明るく楽しく、かつ免許の取得だけでなく、プラスアルファ人として学びがある学校にしたくて、「感性あふれる“ひと”を創る」という理念を打ち上げました。

 

 

―どちらもユニークですね。まず、かめライダーはなぜ始められたのですか。

明るく楽しい学校の象徴として、ある意味、バカげたことをやり切ろうと決めました。当時は社員が100人ぐらいで、社員全体のマインドを変えていくのは山を動かすみたいなもので、僕自身がアホみたいなことをやって、本気でやるんだという姿勢を見せる必要があると考えました。あとは、マーケティングとして、「何だ、あれは」とアテンションを集める狙いもありました。

 

―「感性あふれる“ひと”を創る」という理念は、どうやって決められたのか教えてください。

当時の自動車学校は、指導員も生徒もイキイキしていないと感じていて…なんかめっちゃ楽しかったな、結果的にいいものを学べたなというプロセスにしたかったんです。免許取得だけではなくて、例えば当たり前のことに感謝するとか、人としてひとつでも学びがある学校にしたいと思い、感性あふれる人を創る、しかもそのプロセスを楽しく彩りながらやるという意図で考えました。

 

―江上さんがご自分で考えて、言葉が浮かんだのでしょうか。

そうですね、ヒルトンを貸し切って経営計画発表会をやると決めていて、その3日前にお風呂で思いつきました。

 

―「自動車学校」で「人づくり」は珍しい気もします。もともと人にこだわりがあったのですか。

僕の原体験として、ずっとサッカーをやっていて、高校のサッカー部の顧問が物理の先生で、物理だけは偏差値70以上ですごく成績が良かったんです。というのも、その先生が自分のことをいつも気にかけてくれて、ダサいことをやったら叱られるし、苦しい顔をしてると「どうしたんだ」と聞いてくれたし、頑張ってたら褒めてくれて。ずっと自分のことを見てくれてたから、僕はその先生に対して心のドアを開いていました。生徒の心のドアを開かせることこそが、いい教育を注入する上で最も大事だと感じたので、指導員と生徒の関係をそういう状態にしたいと思ったのです。

退職者が続出し、ある日を境に会社が変わった

―経営計画発表会で新しい方針を打ち出されたとき、従業員の皆さんの反応はいかがでしたか。先代から受け継いだ会社なので、年配の方もいらっしゃいますよね。

いやあ、シーンと場が凍りついた感じでしょうか(笑)。262の法則のように、2割は「感動しました」と言ってくれて、6割は「フーン」という感じで、残りの2割は「こいつは何を言ってるんだ」みたいな雰囲気で。そこから一気に退職が進み、ピーク時は毎週誰かから辞表を受け取る日々が続きました。

 

―それから理念が定着した、改革がうまく進んできたという手応えを感じられたのはいつ頃ですか。

結論から言うと、定着はしなかったんです。人が入れ替わったことで、勝手に定着したという感じで。当時の従業員の約半数にあたる50人ほどがワーッと辞めていく一方で、新卒の学生が「古い業界を変えていくのは面白そう」というノリでたくさん入社してくれました。特に2015年の2~3月に一気に人が辞めて、4月1日に新卒が17人入ってきて、朝礼の雰囲気がガラッと変わったのを鮮明に覚えています。

僕がしゃべったら、打てば響く感覚がありました。笑い話をしたら笑ってくれるし、面白くなくても滑り笑いが起こるし、熱く語ったら目をキラキラさせながら聞いてくれるような状態で。それまでは何をしゃべっても砂漠に水をまくような状態だったのに、その日から明確に変わりましたね。

ですから、理念を浸透させたみたいな美しいストーリーではなくて、反発する人が辞めて、共感する人が入って、物理的に入れ替わったというだけなんです。

 

 

―それもある意味、理念が作用した変革といえそうです。

かめライダーも大きかったと思います。この道20年30年の指導員としては、いきなり入って来た青二才の3代目があんな格好して、感性あふれるひとを創るなんて言ってたら、ヤバいなと思うでしょう。当時、僕は真剣に変えるんだ、みんなに響くはずだと思ってやってましたが、今、冷静に考えたら反発されますよね…。

 

―採用においても理念を発信されて、それが響いた人が入って来たのでしょうか。

一番は、普通じゃない、他と違うことができそうという期待感で入社してくれた人が多いようです。どんどん面白い人が来て、面白い人と面白いことをやっていく流れができました。

事業の幅が広がり、新たにパーパスを設定

―今も同じ理念を使われているのでしょうか。

いえ、事業体が教習所から人材紹介、AI事業まで幅広くなって、人を作る事業だけではなくなりました。それで3年ほど前にミナミホールディングスとして「人と事業を変身させ、この社会を感性で満たす。」という言葉を新たに掲げました。

 

 

 

―これはパーパスにあたるものでしょうか。どうやって考えられたのですか。

そうですね、理念でありパーパスであり、コピーライターの人と一緒に考えました。僕としては、「感性」という言葉は抽象度が高く解釈が広くなるので、どうかなと思ったのですが、この感性に魅かれて入社してきた従業員も多いので、僕らのアイデンティティとして残すことに決めました。

 

―作られてみて、いかがですか。

なかなか苦労しています。「この社会を感性で満たす」というのは抽象度が上がり、例えば教習所の指導員は、目の前の生徒さんに毎日教習をしていて、「私はこの社会を感性で満たしてます」となかなか感じにくいと思うんですよ。そこは結構難しくて、試行錯誤している真っ最中です。

4つのバリューを軸に価値観の統一を図る

―どんな試行錯誤をされていますか。

バリューを4つ作り、今はそちらを中心にコミュニケートしてます。「愛あるおせっかい」は、南福岡自動車学校の時代からずっと大事にしてきたことです。次の「まず自ら心のドアをあける」は、心の中にある思いや感情を共有し合ってこそ、強い絆が生まれると思っています。そして「お互いの違いを味方につける」というのは、人それぞれ違う長所と短所があるので、長所を認めて組み合わせながら、チームとしてやっていこうという方針です。最後は「ナイストライ!ナイスエラー!」、これは言葉の通りですね。

 

―これら4つをどのように活用されているのでしょう。

例えば、お客さんのアンケートなどを見て、4つに沿った行動があったときは朝礼で紹介して称賛します。また、月1回グループ全体の動きを報告する全社報告会では、4つのバリューに沿った行動やトピックスについて語ります。あとは、4つに合った行動を表彰しています。今後は、自分たちでアプリを作って、バリューに沿って行動したらポイントが貯まり、金銭的にも還元される仕組みを作ろうかなと考えているところです。

 

―御社のように多業態の場合、バリューでみんなの価値観の統一を図るのがいいと思います。御社の業績が伸びてきた要因を教えてください。

事業ごとに要因があると思います。例えば、自動車学校の事業であれば、基本的に需給バランスが変わってきて、人手不足の中、働く人を確保できて元気に働ける状態を作れば、入校者が来て自ずと業績が上がります。また、マーケットの質が変化してきていて、日本人と普通車の免許取得が減る一方で、外国人と二種免許が伸びています。そこにちゃんとフォーカスして丁寧に認知すればいいと考えています。

ほかに、教習所サポートやAI教習所といった教習所向けのサービスを展開する事業は、学科教習をオンラインにしたり、エンタメの要素を取り入れたり、技能教習をDX化するなど、時代の流れによって変えられる部分をコンテンツにして届けることで伸びています。

 

 

―新しいことをやろうとしたとき、従業員がついてきてくれる気風が育まれているのが素晴らしいですね。

まさにそうで、逆にプレッシャーでもあります。自分がつまらない大人になったら、みんな離れていくだろうと思っていますから。

経営の信念は「諦めない」「人の長所を生かす」

―経営者としての信念や志について、教えてください。

諦めないことを意識しています。諦めずに、何回打ちのめされても原因をちゃんと分析して、立ち上がってもう1回力強く実行する。それでも打ちのめされる。これを繰り返していれば、絶対にどこかでうまくいきますよね。

 

―そのような考え方は、どこから出てきたのでしょうか。サッカーですか。

昔からそうですね。サッカーや自分の体験によるものだと思うし、実は1週間前に母が亡くなったんです。思い出を回想していく中で、母はもちろん先人、自分に関わった人が残した背中が、やはりすごく影響しているなと痛感します。考えてみると、母は誰にでも「愛あるおせっかい」や「心のドアを開く」姿勢で接して、倒れても立ち上がっていました。そんな身近な人の影響を受けた上で、サッカーなどを通じて、自分の中で価値観が固まっていったのかなと思います。

 

―新しいことにどんどんチャレンジしてフィールドを広げ、業績を伸ばされていますが、今でもうまくいかないことはいっぱいあるのでしょうか。

めちゃくちゃありますよ(笑)。どうにかなった形が表に出るからそう思われるんですよね…。

あと1つ経営で大切にしているのは、バリューとも重なりますが、人の長所を活かすことです。誰でも、これは人に負けないという長所を持っていて、それを活かせる舞台で頑張ってもらうことで、ものすごく可能性が広がると実感しています。例えば、自動車学校でクレームを受ける指導員がいたけど、彼が作った忘年会の動画はものすごく良くて。それで、企画部を新設して企画の仕事をメインにやってもらったら、「DON!DON!ドライブ」というVTR教材ができて大ヒットしました。他にも、フロントスタッフに、人を見る目があり相手の心に入り込める女性がいたので人事に異動したら、活躍してくれて。こういう配置転換によって、今のミナミがあると思っています。

日本と世界の交通行政を変え、社会課題も解決

―最後に、現在チャレンジしていることや、今後やっていきたいことについて教えてください。

免許取得のための教習の一部をAIがやれるようになったことで、労働生産性が上がり、教育や試験の質も高まりました。目先の話としては、さらにAIで教習できるシステムを開発しているので、それを日本で使えるように法改正を働きかけています。それと、世界の交通行政を変えたくて、シンガポールを皮切りにミナミのやり方を海外に広めていくことも目標としています。

 

―世界を視野に入れていらっしゃるのですね。

はい、今まさにチャレンジしているのは、ドライバー不足へのアプローチです。外国人ドライバーが日本で就労できるようになったので、我々のカンボジアの教習所で外国人にしっかりと運転教育をして、日本でドライバーとして働ける仕組みを作りました。すでに1人目が埼玉で働き始めていて、他の地域でもきちんと教育を受けた外国人ドライバーに活躍してもらいます。これからも時代の流れをよみながら、新しいことにチャレンジしていきます。

 

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ミナミホールディングス株式会社 

江上 喜朗さん

1981年、福岡県生まれ。東京理科大学卒業後、リクルートグループの会社で新規事業企画及び採用を担当し、インターネットベンチャーの取締役を経て、2010年南福岡自動車学校に入社、翌年代表取締役社長に就任。現在はミナミホールディングス代表取締役社長を務める。著書に『スーツを脱げ、タイツを着ろ』(ダイヤモンド社)など。

会社情報

社名
ミナミホールディングス株式会社
代表者
代表取締役社長 江上 喜朗さん
本社所在地
福岡県大野城市下大利3-2-20
従業員数
177人(2024年5月末・グループ総数)
創業
1956年
設立
1962年
事業内容
自動車学校、法人向け安全運転教育、自動車教習所コンサルティング、AI教習、就職支援・人材教育、海外、起業スタートアップのシード期支援、サウナ
会社サイト
https://minami-hd.co.jp/
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