
元世界記録保持者の登山家社長が
組織拡大を見据えて言語化に挑む
興味のあるトピックが一つでもあれば、この記事がお役に立てるかもしれません。
- 中1で登山に魅せられ、大学生のときに世界記録を達成
- 「道具」「情報」「きっかけ」で登山のハードルを下げる
- 世の中になかった登山道具のレンタル業で試行錯誤
- 組織を大きくするのにあたって伝えたいことを言語化
- メンバー主導型による理念づくりで新鮮な驚きや喜びも
- 理念をしっかり作ったことで将来の見通しが良くなった
「登山人口の増加」と「安全登山の推進」を理念に掲げ、世界7大陸最高峰の元世界最年少登頂記録保持者である山田淳さんが2010年に設立したフィールド&マウンテン。登山道具のレンタルサービス、フリーペーパー、ツアーの3つを軸に、毎年成長を続けています。「順調に伸びているからこそ、自分の思いや会社のあり方をきちんと言語化しておくことが大切」という山田さんに、創業までの道のりや理念の言語化に取り組んだ背景などを聞きました。
(聞き手:企業理念ラボ代表 古谷繁明)
中1で登山に魅せられ、大学生のときに世界記録を達成
―山田さんが起業されるまでの経緯を聞かせてください。
改めて振り返ると、中学1年でワンダーフォーゲル部に入ってから、これまで登山一色の人生を歩んできました。部活で最初に訪れた屋久島で、360度自然に囲まれた体験に圧倒されたのが原点です。その感覚をいろいろな人に味わってもらいたいという思いで、創業に至りました。
―なぜ登山を始めて、それを仕事にしようと思われたのでしょうか。
子どもの頃はぜんそく持ちで、体が弱いのがコンプレックスでした。それで、体力をつけたくてワンダーフォーゲル部に入ったんです。中高一貫校で登山を続けて、1999年に東京大学に進学すると、世界7大陸最高峰の世界最年少登頂記録に挑戦しようと決めました。1999年に登山家の野口健さんが25歳、2001年に石川直樹さんが23歳327日で記録を達成していて、僕は2002年に23歳9日で成功し、当時、世界最年少記録保持者になりました。スポンサーにも恵まれて、チャレンジして達成できたことはすごく幸せでした。
―素晴らしいですね。
その後は、自分の登山を突き詰めるより、自分のように体が弱い人でも世界中の山を登れることや、山の素晴らしさを伝えたくて、大学に籍を置いたまま登山ガイドを始めました。ただ、毎週末に20人のお客さんをガイドすると年間1000人で、人生40年で4万人のお客さんとご一緒することになる…当時、登山人口が約600万人で、これを604万人にするのが自分が人生を賭けてやりたいことかと自問したとき、違うなと。
登山の世界を変えようとすると、個人の力だけではなく仕組み作りの必要性を感じ、それらを学びたくて、2006年に卒業して外資コンサルのマッキンゼー・アンド・カンパニーに就職しました。3年は何があっても働き続けて学ぼうと決めて入ったところ、仕事は楽しくやりがいもあり、学びも多くありました。そのとき、古谷さんがマッキンゼーの採用ブランディングをお手伝いされていて、パンフレットの取材でお会いしましたね。同じ大学ということもあり、覚えていますが、当時はこんなに長い付き合いになるとは思っていませんでした。
―そうでしたね。やりがいを感じていた仕事を3年半で辞めて創業されたのは、何かあったのですか。
2009年に北海道で起こったトムラウシ山遭難事故がきっかけです。夏山にもかかわらず悪天候により、8人が低体温症で亡くなるという壮絶な事故で、仕事の休憩中にネットニュースで事故のことを知り、ハッとしたんです。そういう事故をなくすことが自分のやりたいことだったのに、日々の仕事が充実して、仕事に追われている自分に気づいて…。本質的に自分が生きていくところはここではないと思い、すぐ辞めますと伝えて、2009年末に退職しました。
「道具」「情報」「きっかけ」で登山のハードルを下げる
―次のキャリアについて、どんな考えがありましたか。
「登山の世界をもっと良くしたい」という漠然とした思いだけで、何をするかはノーアイデアでした。それでレジャー白書などの資料を読みあさって分析すると、登山をやってみたいと思っているけど、入口のハードルが高いことが分かりました。では、ハードルを下げるために何をすればいいかと考え、登山道具のレンタル業を思いつきました。スキーもボウリングもレンタルがあるから、登山でもいいじゃないかと。それで、2010年2月に弊社を立ち上げました。
―山田さんは創業されたとき、すでに企業理念を決められていたとのこと。なぜでしょう。
星野リゾート代表の星野さんの本に、会社の理念づくりは「経営者の専権事項」で、会社の根幹になるすごく大事なものと書かれていたからです。僕は1人で起業したけど、組織体として大きくしたいと思っていました。自分の会社に込めたい魂を考えて、「登山人口の増加」と「安全登山の推進」の2つに決めました。
そして、その2つを体現する事業として、「道具」「情報」「キッカケ」が大事だと考え、やまどうぐレンタル屋という登山道具のレンタルサービス、フリーペーパー「山歩みち」という情報を広げるメディアを始めました。
―退社から創業まで3か月で、いろいろ考えて準備されたのですね。
我々の持っている世界観として、そもそも人間は自然の中で遊ぶことが好きで、それをとめているハードルさえ取り除けば、みんな自ずと山に行くと信じています。ですから、最初から「道具」と「情報」と「キッカケ」につながる事業をやるつもりで、具体的な事業としてはレンタルとフリーペーパーからスタートして、数年後に旅行業も始めました。
さらに大きな視野でみると、人口減少が進む日本において、これからは国土の約7割を占める森林を生かして観光に活用できるといいなと思っていました。それは僕らの得意な分野で、日本の自然の美しさを世界に発信することで、海外から人が来て、登山道具のレンタルにもつながると考えていました。
世の中になかった登山道具のレンタル業で試行錯誤
―2010年に登山道具のレンタルを始めたときは、競合他社がいたのでしょうか。
当時、登山道具のレンタル業は、日本はもちろん世界を見渡してもほぼなかったんです。キリマンジャロの麓にレンタルショップがあったけれど、忘れ物対策で、道具一式を借りる人が多いわけではなくて。レンタルは世の中にないものを問う形で、どこまでニーズがあるか分からずに手探りで始めました。会社としては、出資を受けてブーストさせるのではなく、自分がコントロールできる中で成長させていきたいと思っていました。
―レンタルはありそうでなかったのですね。
登山道具は自分の身を守るものだから自分のものがいいという考え方があり、一方でレンタル業ではメンテナンスがすごく大変で。スキーの道具はプラスチックだから乾かせばいいけど、登山の靴やアイテムはドロドロになって汚れが染みこんでしまい、どうやってきれいにするか、高圧洗浄機や業務用洗濯機などを使って試行錯誤しました。
最初は退職金で、靴とストックとレインウェアを50セット買いました。富士山への登山は7月8月がシーズンで、雨も考慮すると6週間、300人借りてくれたらいいと思ったのに、1年目に2000人が借りてくれたんです。夫婦で0歳と2歳の子どもをおんぶ紐でおんぶして、お風呂場に暖房をたいてレインウェアを乾かしながら靴を洗いまくったり、レンタルの返却分が間に合わないと分かると店に走って新しいものを買ったりと、とにかく大変でした。そして2年目は8000人、3年目で2万人と増えて、毎年7、8月は睡眠時間を削り、いろいろな人にお手伝いをお願いして乗り切りました。
―それだけ必要とされる事業だったのですね。
そうですね。それから7、8月以外にもレンタル品を活用すべく、無料のレンタル付き登山ツアーを始めて、今では年間1万人以上の方に参加いただいています。
組織を大きくするのにあたって伝えたいことを言語化
―会社は順調に成長する中で、弊社にご相談いただいた背景を改めて教えてください。
古谷さんに最初にご連絡したのは2023年の年末でした。特に事業について困っていたわけではなく、当時は社員15人くらいで、50人くらいまでの組織なら、自分が語り部として各部署の飲み会やランチなどで企業理念を伝えていくことがベストだと思っていました。でも、これから組織を何倍も大きくするのにあたって、100人になると自分で語れる限界を超えてしまうので、自分が伝えたいことをしっかり言語化しておく必要があると感じていました。
加えて、創業して14年目に入り、組織として安定飛行になって、面白くない会社になってきたかなという課題感もありました。右と左に道が分かれていると、僕らは面白い方の左を選んできたけれど、みんなが世の中で当たり前とされる無難な右を選びがちになっちゃったんですよ。それを僕が左と訂正するとワンマン社長になってしまうので、みんながこの会社なら左が正しいと腑に落ちて判断できるようになってほしいという思いがありました。
そんなとき、「企業理念Times」で株式会社ニシコーフードサービスさんのケースを読んですごくフィット感があり、まさにこれだと思ったんです。いわゆる大企業の事例は世の中にあふれているけど、ちょうどいい事例がなくて。それで理念づくりのプロの古谷さんに連絡しました。
―ありがとうございます。はじめは漠然とした感じでしたね。
そうですね、今より10倍ほどの組織になるなら何が足りないのか、何をどう言語化したらいいのか、どの階層にどう伝えたらいいのか、ミッション・ビジョン・バリューでいいのか、そもそも僕が全て決めるのが正しいのかなど、分からないことだらけでした。とにかく一度ご相談したくて、話しながら、いろいろと整理することができました。
メンバー主導型による理念づくりで新鮮な驚きや喜びも
―2024年1月から5か月かけて、理念を言語化していきました。
古谷さんの提案を受けて、すごく良かったと思ったのは、メンバー主導のプロジェクトにしたことです。メンバーには、これから組織のリーダーを任せていきたい3人、内訳は社歴の長い2人と入社1年目の1人を選びました。僕が決めるのではなく、もともと僕が言っていることを彼らがどう解釈しているかが大事で、言語化は基本的に3人を信じて任せることにしました。言語化したものを彼らが伝える側になることへの期待もありました。
―経営者が入るタイミングは要所要所に絞り、できるだけメンバー主体で進めるのが弊社のスタイルです。途中からコピーライターも入って思いをぶつけてもらい、僕らが出した案にご意見いただくときは山田さんにも入ってもらいました。
僕は入っても、基本的に意思決定をしないように心掛けていました。やはりオーナー社長というのは強いので、左右上下決めずに発言やインプットすることに気を使いました。最後に出てきた行動指針「1.お互いに楽しくイキイキと仕事をする」は自分が全く意図してなかったもので、こんなのが出てくるんだと新鮮でした。
創業時から掲げていた「登山人口の増加」と「安全登山の推進」という理念は、今回変えてもらってもいいと思っていたけど、結果的にそのまま使うとメンバーが決めていました。大切に思ってくれているんだなとうれしかったですね。
―プロジェクトに取り組んだ感想を聞かせてください。
メンバーの3人が本当によく考え抜いてくれたと思います。先ほどお話したように、行動指針の1番はこんなことを思っていたのか、確かにそうだなと感じ、2~5番は想定内でした。ただ、「2.お客さんと誠実に向き合う」と「4.マーケッターであれ」、「3.走りながら考える」と「5.挑戦!をあたり前に」は、根幹は同じことを言っているのですが、行動指針として分けておくことが重要だと僕も思います。みんなに伝わりやすく共有しやすいように3人がしっかり考えてくれて、すごくいいものができたと満足しています。
―完成後、社内で皆さんにお披露目されたときの反応はいかがでしたか。
今いるメンバーには全く違和感がなかったようで、すんなり受け入れられました。まずは想定していた通りの反応で、新しく入る人がもともといる人たちと齟齬がないようにするためのツールになると捉えています。
―どのように運用されているのでしょうか。
今、月1で社員もパートさんも含めてオンラインでお昼の会をやっていて、ミッションから合言葉、行動指針まで全員で復唱します。かつ、持ち回りで毎回1人、関連するエピソードを話すようにしています。今のうちに、新しくメンバーが増えていくときに浸透させる仕組みをしっかり作っておかなければと考えています。プロジェクトメンバーの3人が掲示物を作ろうと自主的に動いてくれているところです。
今は20人ほどの組織ですが、メンバーがどんどん増えれば、いつか次の1手を打たなければいけない時期が来るでしょう。さらに大きな組織になったとき、世の中の動きや世代などに合わせて、組み替える必要も出てくると思います。若い世代に伝えるには、文字ではなく動画かもしれませんね。
理念をしっかり作ったことで将来の見通しが良くなった
―御社の今後の展望について聞かせてください。
「登山人口の増加」と「安全登山の推進」を掲げて、創業から考えていたことの中でしっかりできていないのは、日本の山の魅力を世界に発信して、日本の山に登る世界の人口を増やすことです。世界中に日本の山の美しさを伝えていきたいし、もっと言うと日本のGDPを上げたい。ようやく富士山に登る外国人が道具をレンタルされるようになったのですが、富士山以外の山はまだまだ認知されていません。海外市場において、富士山ではない山も知られたり、ツアーを組んだりできるといいですね。
―今回まとめられた理念は、会社や山田さんにとってどんな存在でしょうか。
この理念の一覧に基づいて、次の事業を考えられます。ただ、ビジネスチャンスに軽く飛びつくつもりはなくて、骨太な事業を長い期間かけて育てていきたいと考えています。
今、弊社は売上10億円、顧客取扱はレンタル4万人、ツアー1万人、屋久島縄文杉が1万人ほどの計6万人になりました。この10倍、のべ50万人ほどのお客さまの登山のサポートができるような体制までは、今回の理念でいけると思っています。最初に古谷さんに相談させていただいたとき、正直、このままでは50万人をサポートできる規模までいけないと思っていたけれど、この理念ができたことで無理という感覚が取り除かれました。単にいいものができただけでなく、ここから先5~10年でつまずくであろう落とし穴に、前もって蓋ができたという感覚です。
―理念をまとめたことで、将来の見通しが明るくなったのですね。
そもそも日本人も世界中の人も自然が大好きという大前提が僕らにはあって、山に行きたいのに行けないハードルを取り除く存在でありたいと思っています。お客さまとはフェアな関係で、そういう人たちが登山に行くのをサポートしたいという思いは創業から変わりません。毎年20%前後の成長を繰り返し、跳ねないけど堅実に伸びていくタイプのビジネスです。そういう意味では前もって何が起こるか読みやすく、数年後のあるべき姿を描き、今回のように言語化や共有、表面的なことではオフィスのサイズや人材の確保などを考えるのが経営者の役割であると考えています。今回まとめた理念一つひとつを大切にして、今後も着実に成長していきたいです。
「企業理念ラボ」には、
企業理念の言語化や浸透策の
事例が豊富にございます。
ご関心のある方は
お気軽にお問い合わせください。
株式会社フィールド&マウンテン
山田 淳さん
1979年神戸市生まれ。灘中学校・高校を卒業し、東京大学在学中に世界7大陸最高峰の世界最年少登頂記録者になる。マッキンゼー・アンド・カンパニーに勤務した後、2010年フィールド&マウンテンを設立。
会社情報
- 社名
- 株式会社フィールド&マウンテン
- 代表者
- 代表取締役 山田 淳さん
- 本社所在地
- 東京都新宿区西新宿1-22-1 スタンダードビル12階
- 従業員数
- 50人(パート含む/2025年時点)
- 創業
- 2010年2月
- 事業内容
- 登山用品のレンタル事業、登山ツアーを中心とした旅行事業、フリーペーパー「山歩みち」の出版事業、山小屋グッズの販売事業