INTERVIEW

信頼をつないできた150年企業で
人生をかけて「九州から日本を動かす」

興味のあるトピックが一つでもあれば、この記事がお役に立てるかもしれません。

  • 石炭からセメント、医療、教育へと事業を展開
  • 100年伝わる麻生家の家訓・創業訓「油断大敵、程度大切」
  • 「私の経営指針」を冊子にして、現場の社員に直接伝える
  • 飯塚病院ではTQMを楽しく実践して、驚くほどの成果が出た
  • 九州がひとつになり、みんなで協力して発展していく
  • 医療と教育の分野で実績を作り、福岡から日本に貢献
  • 「九州から日本を動かす」ために、自ら動き動かす

有名・無名と問わず、日本中の「すんごい100年企業」を発掘していく「企業理念Times」の連載。その歩みや生き残る理由を丁寧に紐解いていきます。今回は、福岡県にある1872年(明治5年)創業の株式会社麻生に迫ります。

石炭事業を源流として、明治期には電力や銀行、陸運事業などのインフラ開発を手掛けた同社。現在はセメントや医療、教育、人材開発など、新たな事業を展開しています。

4代目社長で現在は会長を務める麻生泰さんは、元内閣総理大臣・麻生太郎さんの弟です。麻生泰さんに、150年以上にわたって同社が続いてきた背景や、ご自身の思いなどについて聞きました。(聞き手:企業理念ラボ代表 古谷繁明)

石炭からセメント、医療、教育へと事業を展開

石炭からセメント、医療、教育へと事業を展開

――創業からの沿革を教えてください。

 

麻生グループは、1872年に私の父の曽祖父にあたる麻生太吉が、飯塚市で石炭産業に着手したことから始まりました。明治期には国家の産業基盤づくりを使命として、銀行や電力、鉄道など幅広く事業を展開。太吉は60年ほど会社を経営し、1933年に逝去しました。太吉の長男は30代で亡くなっていたため、その長男で私の父である太賀吉が会社を継ぎ、40年ほどトップを務めました。太吉は炭鉱業の将来を見越してセメント業を始めており、石炭が閉山した後、当社を支える基幹事業となりました。

1973年に私の兄の太郎が社長に就任し、兄の政界進出に伴って私が社長を引き継いだのが1979年。その後、2010年に私の長男の巌に社長のバトンを渡し、私は会長になりました。

 

――現在は医療と教育の事業も拡大されています。どのような経緯で始められたのでしょうか。

 

太吉が作った飯塚病院は、もともと炭鉱の従業員と家族社員に限定して診療していました。しかし、地域の人たちに貢献したいという思いで1920年から一般診療を開始し、今では1000床を超える規模になり、地域の医療を担っています。

一方、教育は太賀吉が1939(昭和14)年に創立した「麻生塾」に端を発します。国や地域への貢献を目的として、中堅技術者を養成する1学年15人の工業高等学校で、食事つきの全寮制、授業料も全て無料でした。非常に優秀な子どもが集まってくれて、卒業後は一部大学へ進学し、大半が麻生に就職。その後、麻生塾小学校なども開校しました。

さらに時代の先を見据えて、1986年には「麻生電子ビジネス専門学校」を福岡市で開校。そのとき、「飯塚の麻生さんが福岡で学校を始める」と評判になり、初年度270人ほどの枠に800人を超える入学希望者が殺到したんですよ。麻生というのは信頼されるブランドなのだと、改めて責任の重みを感じました。現在は、九州最大級の専門学校グループへと成長を遂げています。

100年伝わる麻生家の家訓・創業訓「油断大敵、程度大切」

100年伝わる麻生家の家訓・創業訓「油断大敵、程度大切」

――麻生家には「油断大敵、程度大切」という教えがあるそうですね。

 

はい、これは太吉のメッセージなんです。太吉が10代の頃、家の手伝いで牛を引いて歩き、牛に草などの荷物をどんどん載せていたそうです。すると、父親から「牛には長く働いてもらわなければいけない。背負えるからって、いくらでも載せていいわけじゃない。程度をわきまえなさい」と言われたことをもとに、1928年にこの家訓、かつ創業訓ができたそうです。

 

――リアルな体験に基づいているのですか。

 

このメッセージは、違う受け止め方もできるんですよ。「油断大敵、程度大切」というと、私は「慎重にやっていきなさい」というメッセージと捉えたけれど、息子の巌は全く違っていて、「攻めろってことでしょ」と。起業家は絶対攻めなければいけないけど、油断はするな、程度は守れよと息子は理解していて、面白いなと思いました。

「私の経営指針」を冊子にして、現場の社員に直接伝える

――会社としてはどんな理念やビジョンを掲げられていますか。

 

麻生グループでは、1990年から経営理念として「We deliver the best」を掲げてきました。さらに創業125周年に「安心をカタチに、生きがいをデザインするASOグループ」というビジョンを出しました。

また、私が社長になったとき、リーダーは経営方針を明確に打ち出し続けることが最優先課題であると教えられました。そのため社長になって2年に1度くらいのペースで「私の経営指針」を書き、小冊子にまとめて社員に配布。そして、多くの職場に出向いて、経営者としての思いや方針を直接伝えていました。この経営手法は、非常に有効であったと自負しています。

 

――新規事業の分野を決めるときは、どのような判断基準があるのでしょうか。

 

大きく3つの基準があります。これから伸びる分野、麻生が経験している分野、社会に貢献できる分野の3つが共通点です。20世紀後半の麻生グループは、セメント関連事業を柱に、MELDSという新規事業戦略を実行しました。M(medical)は医療・健康・介護、E(education)は教育、L(lady)は女性、D(development)は開発、S(software)はシステム開発です。

MとEは先にお話した通りで、Dは不動産をもとにした事業、Sは兄の太郎が1970年に設立した麻生情報システムという会社がありました。MELDSで一つだけ私たちに足りなかったのがLの女性です。今から30年前、女性の社会進出をサポートすべく、人材派遣のテンポラリーセンター(現パソナ)と共同経営という形で、アソウ・テンポラリーセンター(現アソウ・ヒューマニーセンター)を設立。今では女性を中心とする人材開発の大きな企業になりました。

 

――麻生グループが150年以上も継続できているのは、なぜだとお考えですか。

 

先ほど申し上げた「麻生さんなら悪いことをしないだろう」という信頼に対しての、我々の振る舞いが大きなメッセージになっていると思います。麻生が大切にしている信頼のイメージを社員みんなで守ろうという意識を持ってくれているのは、とても幸せなことです。それから、地域の役に立つだけでなく、飯塚から福岡、九州、日本、そして世界に貢献するというビジョンと責任感を持って取り組んでいることも大きいかもしれませんね。

 

 

――皆さんのそんな意識は、研修によって養われているのでしょうか。

 

巌社長は研修に力を入れていますが、やはり一番は先輩たちの後ろ姿ではないでしょうか。麻生塾で学んだ塾生をはじめ、社員にはそういう精神が脈々と受け継がれていると感じます。

飯塚病院ではTQMを楽しく実践して、驚くほどの成果が出た

――飯塚病院は特徴のある取り組みで、全国的にも注目されています。沿革や取り組みについて、教えてください。

 

飯塚病院は「日本一のまごころ病院」を合言葉にしています。私が社長になってすぐの頃、飯塚のローカルであっても、民間ならではの真心で日本一の病院を作ろうと事務長に言ったとき、彼は「馬鹿なこと言うもんじゃありません。うちはおんぼろ病院の西の横綱って言われてますよ」と驚いていました。確かに、当時の病院は木造でおんぼろで、雨の日は雨漏りしてたんです。

ただ、私が非常に恵まれていたのは、たまたま妻の父親が、日本医師会の会長をしていた武見太郎先生だったことです。私は東京でサラリーマンをしていて、政界に出る兄(麻生太郎さん)の後を継ぐために家族で福岡に帰ってきました。そのとき、武見先生から「飯塚病院をどんな病院にするのか」と問われ、自分の考えを話したら、「君の話は過去からの延長だ。リーダーは未来を読み、未来からの反射で決めなければ」と。その通りだと衝撃を受けて、今でも心に刻んでいます。

 

 

――それから改革されていったのでしょうか。

 

はい、飯塚病院は1000床もありながら、研修教育指定病院になっていませんでした。武見先生に「恥だと思え」と言われて、大胆にもアメリカの大学と組みたいと思い、ボストンのハーバード大学の病院長に会いに行ったんですよ。すると、「君は日本のセメントメーカーか。私たちはメーカーから習うことが多い」と興味を示してくれて。TQM(トータル・クオリティ・マネジメント)として、ムリ・ムダ・ムラをなくす日本の業務改善の方法を評価されていたんです。

それに、ハーバードには「武見プログラム」という学際的プログラムがあり、武見先生の娘婿というのも後押しになりました。最終決定権のある学長にプレゼンする機会を得て、院長がプレゼンの内容を一緒に考えてくれたおかげで、学長から「面白い、ぜひ組もうじゃないか」と言ってもらい、連携が実現しました。

ハーバードの優秀な先生が飯塚に住み込んで指導してくれる一方で、こちらのスタッフをボストンで受け入れてもらうように。その評判が広まり、全国からいい先生が集まるようになりました。そのあたりから病院が変わったと思います。

 

――麻生さんの情熱と行動力が実を結んだのですね。

 

もう一つは、ナースの力が大きいですね。うちには1918年に創立した麻生看護大学校があり、卒業後はほとんどが飯塚病院に就職します。その人たちのレベルが非常に高い。ムリ・ムダ・ムラをなくして、患者さんの待ち時間を減らそう、早く帰れるようにしよう、明るい職場にしよう、などと楽しんで改善活動をしてくれて、驚くほどの成果が出ています。1992年から毎年開催している「飯塚病院TQM活動発表大会」では、現場や課題ごとにサークルで半年間の改善活動を行った結果を報告してもらいます。病院職員もナースもみんな真剣に医療の質とサービス面の向上で競い合うことを楽しんでくれて、今年も18サークルが発表。職員だけでなく、一般の方の投票もあり、全国から見学に来られるんですよ。毎年お祭りのように楽しく盛り上がります。20数年前に見学された某市役所は、ご自分のところにTQMを取り入れて実践されています。

ES(従業員満足度)がCS(顧客満足度)につながり、最終的にOS(オーナー満足度)になる。従業員の満足度が上がると、意欲と定着率も上がります。この4年で約300人のナースを採用しましたが、離職者は4年でわずか2人にとどまっています。

最近では、慶応大学医学部で、ラグビー部のキャプテンもしていた人が飯塚病院に来てくれました。総合診療医になりたくて、総合診療医のメッカは飯塚なので学びたいと。当院では40年ほど前、24、25歳で専門を決めるのではなく、いくつかの科を回って総合診療医を育てる体制を整えました。日本にあまたの病院がある中で、エースの彼が飯塚病院を選んでくれたのは、それが功を奏しているのでしょう。つい先日も焼き鳥屋でふたりで飲んで、彼はいいドクターになるだろうと感じました。

 

 

――麻生さんが直接、若手の声を聞かれるのですか。

 

毎年、新入社員をグループに分けて、4~5月に食事会をしてきました。「どうしてる?」「だまされた、ここに来なきゃよかったと思ってない?」などと話しかけて、直に本音を聞くことが大事だと思っています。うちのアドバンテージは、オーナーだからトップを長く務められることです。普通の病院は4、5年でトップが変わるけれど、長いスパンで考えて経営できることは恵まれています。

九州がひとつになり、みんなで協力して発展していく

――麻生さんは家業にとどまることなく、2013年から21年まで「九州経済連合会」(通称、九経連)の会長、2014年から現在も「福岡地域戦略推進協議会」(通称、FDC)の会長を務められています。

 

九州は県を越えて、ひとつになって発展戦略を協議して実行しようという動きが盛んです。

例えば、九州7県に山口と沖縄を加えた9県の知事と、4つの経済団体の代表が集まる「九州地域戦略会議」が年2回開催されていて、つい先日もみんなで飲みました。九州の競争力をつけるために、9県共通の強みである観光と農業にスポットを当てて、ツール・ド・九州2024をしたり、農業の輸出も始めました。九州の一体感は、他の地域にはない大きな強みですね。

 

――九経連の会長を務められて、感じられたことがあれば教えてください。

 

私が九経連にもっとも貢献したのは、KPI(Key Performance Indicator)の視点を入れたことだと思います。就任当初、先ほどお話した県知事と経済団体の会議に参加してみると、報告や今後について話すとき、皆さんは「一生懸命やっています」「これから連携します」など漠然とおっしゃる。それではダメだとお伝えしたんですよ。KPIを設定し、いつまでに何をして、何億円、何%の結果を出すのか。経営的な視点で明確な数字を入れて、しっかり進めましょうと。民間では当たり前の数字を意識する文化が、この会議に浸透し、さらに県庁などにも入っていきました。それが日本中に広がっていけば、日本はもっと良くなると期待しています。

医療と教育の分野で実績を作り、福岡から日本に貢献

医療と教育の分野で実績を作り、福岡から日本に貢献

――今はどのようなことにチャレンジされているのでしょうか。

 

社長業はもう巌社長がされているから、邪魔しない範囲で、私は与えられた1度きりの人生、いろいろな人のおかげと感謝の心を持ち、明るく地域や人の役に立つことをやっていかなければ、よりよく変えなければと思っているんです。ベースにあるのは、志と感謝と思いやりですね。

日本は小泉純一郎氏などが改革を行ったけれど、取り残された2つの分野があります。それは医療と教育で、私たち麻生は偶然にも両方やっているため、その分野でお役に立ちたい。具体的には、公立病院と公立学校の改革が必要だと考えています。

そのうち医療について、私たちの飯塚病院は1000床で、24時間365日救急をしているので、国から4700万円の補助金をもらっています。そして先ほどお話したように、楽しみながら徹底的にムリ・ムダ・ムラをなくす改革を実践しており、しっかり税金を払っています。それに対して、都内の某公立病院は一等地で500床に満たないけれど40億円の補助金をもらい、それでも赤字なんですよ。民間は努力して税金まで払っているのに、国公立病院はとんでもない赤字を出し、国民の税金をどんどんつぎ込んでいる。このままでは、国も医療も立ちゆかなくなってしまう…。そのギャップを何とかしたいというのが、私のライフワークの一つです。

 

――それは、御社で掲げられている「社会システム改革への貢献」というミッションと重なります。

 

その通りです。民間でいい実績を作って、官に示していきたい。実は、病院の経営改革については、すでに行政のキーパーソンに丁寧に説明したこともあるのですが、そもそも改善する意思が全くない人もいて愕然としました。

でも、それを嘆いても仕方がない。相手が悪いのではなくて、私たちの熱意やパワーやメッセージが弱いから相手を動かせないのだと私は捉えています。

 

――麻生さんは、危機感に突き動かされているのですか。

 

私は、皆さんが思ってる以上に日本という国は瀕していて、「危機感なき、じり貧」であることを危惧しています。少子高齢化が進み、経済は停滞している。もしかしたら、孫たちの世代は海外へ出稼ぎに行くようになる可能性だってある。すでに「日本は昔すごかったらしいですね」と過去形で言う人が出てきています。NATOって聞いたことがありますか?日本はNo Action, Talk Only、つまりNATOと言われているらしいんですよ。韓国の企業とビジネスの話をするとスピーディに動くのに、日本は話すだけで動かないと。韓国はオーナー企業が多いから自分で決められるけど、日本は組織が大きくて意思決定に時間がかかるというのもあります。

「九州から日本を動かす」ために、自ら動き動かす

――麻生さんは、毎日の出来事や考えたことをノートにメモされていて、初めのページには大切なことを書かれていると聞きました。

 

34歳で社長になってから分厚いノートに考えや思いを書き続けていて、162冊目になりました。今のノートの最初のページには「地域や国家に役立つ動きをしていき、この5年間、2029年8月末、私が83歳になるまでには、ぜひ達成し体感できるまでいかなければ」と書いてますね。最近はパソコンもかなり使っているけれど、頭を整理するときはノートがすごく役に立っています。

 

 

――麻生さんはいつも明るくて前向きな印象です。

 

私は健康や機会にも恵まれてラッキーなんだから、暗くしてたらいけないよね。それに、オーナーは影響力が大きいから、ちょっとでも下を向いて歩いてたら、「社長、何かあったんですか、下向いて歩いてたけど」とか言われちゃって。だから、突っ張って明るくやっています。

 

――最後に、改めて今後の抱負をお聞かせください。

 

私は長年「九州から日本を動かす」と言い続けてきました。行政のスリム化も、デリケートながら大きな課題だと思っています。道州制のような仕組みに賛成です。それについて兄(麻生太郎氏)とも話したことがあり、「どうやってやるんだ」と聞かれたので、自分の考えを話しました。すると、「お前はいつも四つ相撲で、正面から組もうとしすぎる」と指摘されて。まわりから攻めるようなアドバイスをもらいました。

日本全体は閉塞感に覆われていますが、日本人の人柄や治安の良さなど、いいところもたくさんあります。それに、福岡や九州では少し動き始めて明るい兆しが見えている。福岡や九州で意欲的に改革を進めて、その影響を全国に広げていきたい。

この3年ぐらい同じようなことをノートに書いて、何とかしなきゃと思うけど、なかなか動かない。いや、動かないじゃなくて、動かすパワーが足りないんですよね。自分が「動きました」では不十分で、やっぱり「動かしました」というエビデンスまで出さないと。アクションだけじゃダメで、アクションのしつこさで結果がガタッと動くところまでいかないとね。私はまだあと10年ぐらいは生きているだろうから、粘り強く動き続けて、「良かった」「動かせた」という実績を必ずや作ってみせます。

 

――地域や国のために尽力される先輩方の背中を見ながら、我々の世代も本気で動かなければいけないと改めて感じました。

 

私たちもまだまだ一生懸命コツコツやりますので、共に動き動かしましょう。

 

「企業理念ラボ」には、

企業理念の言語化や浸透策の
事例が豊富にございます。
ご関心のある方は
お気軽にお問い合わせください。

企業理念ラボにちょっと相談してみる。 | 企業理念ラボ 理念を作ったその後に、9割の企業が直面する「“浸透の壁”」を乗り越える具体的な方法と事例を解説

株式会社麻生 

麻生 泰さん

1946年、福岡県飯塚市生まれ。慶応義塾大学、オックスフォード大学を卒業。1977年麻生セメントに入社し、79年社長に就任。2000年から現職。九州経済連合会会長(2013~21年)、福岡地域戦略推進協議会会長(2014年~現在)をはじめ、数々の要職を務める。

会社情報

社名
株式会社麻生
代表者
代表取締役会長 麻生泰さん
代表取締役社長 麻生巌さん
本社所在地
福岡県飯塚市芳雄町7番18号
従業員数
2743名(2024年3月末時点)
創業
1872年
事業内容
医療関連事業、不動産事業ほか
会社サイト
https://www.aso-corp.jp/index.html
  • 企業理念ラボにちょっと相談してみる。 | 企業理念ラボ
  • 【経営者限定 1時間×2回のオンライン診断】企業理念の刷新でスッキリ解決できる「50の経営課題」 | 企業理念診断
  • 【資料ダウンロード】理念を作ったその後に、9割の企業が直面する浸透の壁 | 理念が組織に“共鳴”を起こし、浸透の壁”を乗り越える具体的な方法と事例を解説

RECOMMENDおすすめ記事

INTERVIEW

真摯な社是を掲げて危機を乗り越え
兄弟の舵取りで会社をアップデート

コマニー株式会社
代表取締役社長 塚本 健太さん
すんごい100年企業
INTERVIEW

愚直に技と心を磨いて海外に進出
日本のものづくりを守る町工場の奮闘

株式会社TEKNIA
代表取締役 高橋 弘茂さん
INTERVIEW

「社員の幸せ」を最優先に据え
年輪経営で50期増収増益を達成

伊那食品工業株式会社
代表取締役社長 塚越 英弘さん
すんごい100年企業
INTERVIEW

ミュージシャンをやめて事業承継し
縮小するジュエリー業界で飛躍的に成長

フェスタリアホールディングス株式会社
代表取締役社長 貞松 隆弥さん