INTERVIEW

九州のソウルスイーツを守って攻める、
あえて変えない経営理念

興味のあるトピックが一つでもあれば、この記事がお役に立てるかもしれません。

  • 創業130年、戦前の倒産と戦後の混乱を生き抜いて
  • 「山にチョコをかけたら…」祖父がフランスでひらめいた「あのヒット商品」
  • 「男でなければ跡を継げないのか」一人娘の決意
  • 東京で出会った夫を連れて家業へ、3人の子どもを出産後社長に
  • あえて変えなかった、「らしさ」を感じられる経営理念

有名・無名と問わず、日本中の「すんごい100年企業」を発掘していく「企業理念Times」の連載。生き残る理由を「企業理念」の観点から丁寧に紐解いていきます。今回は、佐賀県にある明治27年(1894年)創業の竹下製菓株式会社。

九州人のソウルスイーツと言えるアイス「ブラックモンブラン」を生み出した3代目から着実に事業規模を拡大してきた製菓メーカーです。

幼少期から事業承継を意識し、経営コンサルティングファームでのキャリアを生かして全国展開に挑戦する5代目社長・竹下真由さんに聞きました。(聞き手:企業理念ラボ代表 古谷繁明)

創業130年、戦前の倒産と戦後の混乱を生き抜いて

創業130年、戦前の倒産と戦後の混乱を生き抜いて

ーーまず創業からの沿革を教えていただけますか?

 

菓子業で創業したのは1894年(明治27)年です。世界恐慌の煽りを受けて2代目の時に一度会社を清算しましたが、すぐ1927年(昭和2年)に今の会社に繋がる形で再度設立されました。

 

創業当時のレシピ資料には、西洋から伝わってきた菓子も載っています。当時はまだ珍しかった洋菓子をいち早く取り入れるなどのチャレンジを続けていたものの、斬新すぎたのかほとんど売れなかったと聞いています。

 

次の倒産の危機だったと父から聞いているのが戦争です。終戦直前に2代目にあたる曽祖父が他界しますが、息子たちは戦地に行ったきり。息子にあたる祖父たちが戦後比較的すぐに帰還できたものの、当時は砂糖はもちろん材料が何もない時代。どんぐりを拾い集めてそれを原料に「どんぐり飴」なども作っていたそうです。

 

3代目にあたる祖父は事業を生き延びさせるため、そして職人さんたちを食べさせるために、さまざまな仕事をやりました。GHQの占領下で給食パンを作っていた時は風当たりが強いこともあったそうです。

 

ただパンを製造していると、焦げた失敗作を食べることができるので、家族がひもじい思いをすることはなかった。戦後混乱期に製造業をしていたから恵まれていたと、当時幼少だった父はよく振り返っていましたね。

「山にチョコをかけたら…」祖父がフランスでひらめいた「あのヒット商品」

「山にチョコをかけたら…」祖父がフランスでひらめいた「あのヒット商品」

ーー戦地を生き抜き、戦後混乱期でも会社を守り抜いた3代目が生み出したのがあのロングラン商品「ブラックモンブラン」ですね。

 

自社商品が菓子のみだと夏の暑い時季に売り上げが落ちるから冷菓も作ろうと、アイスクリーム事業を始めたのが1950年代。それから10年ほど経った1969年に生まれたのが「ブラックモンブラン」です。

 

祖父がフランスのシャモニーという町からモンブラン山を見た時に着想を得た商品だから、この商品名になったそうです。私も販売50周年にあたる2019年に現地を訪れましたが、「この雪山にチョコレートをかけて食べたらさぞ美味しいだろう」と着想したところが祖父らしくて面白いなと。

 

祖父がモンブラン山の寒さを実際に体感しながら、寒くても食べてもらえるアイスを作るにはどうしたらいいか考えていたところ、「クランチをかけて濃厚にする」などのアイデアが出てきたとのことです。

 

祖父は私が高校生の頃まで元気で、私によくお菓子作りを教えてくれました。孫娘にただ甘いだけではなく、どことなく厳格さも併せ持っていたのが私の記憶の中の祖父です。

 

ーー3代目のおじい様から4代目のお父様への事業承継はスムーズでしたか?

 

4代目にあたる父は、大学卒業後すぐに竹下製菓に入社し、祖父とは何十年も一緒に仕事をしていたので、スムーズに事業承継できたと思います。祖父が77歳の時に父に社長業を譲りました。

 

父もアイスクリームをはじめとする新商品を開発する一方、還暦の頃にホテル事業を立ち上げました。今、私自身が社長になってみると、「まったく勘所のない新規事業によくその歳で参入したな」と驚きます(笑)。

 

ホテル事業を始めるきっかけは、佐賀駅の周辺で駐車場経営をしていた土地を、地域の賑わいに貢献できる場所にしたかったから。当時は、今以上に佐賀駅周辺は閑散としていました。ちょうど周囲からの提案もあり、駐車場より有効に使おうと決意したそうです。リーマンショックの時などは経営が大変だったそうですが、ホテル事業もおかげさまで継続できています。

「男でなければ跡を継げないのか」一人娘の決意

ーーそして5代目の真由社長に繋がるのですが、経歴を拝見すると着実に準備された印象を受けました。実際にはいつ頃、事業承継を決意されたのですか?

 

祖父がいろいろと教えてくれたのでお菓子作りは大好きでしたし、私にとって家業は幼少の頃からとても身近なもの。知らない方でも竹下製菓の商品を食べてくださっているのを見ると嬉しくて、「この仕事をやりたい」という気持ちはずっと持っていました。

 

なので、物心ついた頃には「継ごう」と心に決めていたと思います。

 

ただ、誰も「継いでくれ」と言ってくれなかったので、はたして私に継がせてもらえるのかという一抹の不安を抱え続けていました。父は特に口にはしませんでしたが、周囲からは散々「いいお婿さんを取って継いでもらわないと」と言われていましたし。なぜ、まだ目の前に存在しない人に家業を継がせないといけないのだろうかと、子どもながらに不思議に思っていましたね。

 

高校の進学先を考えている時に、「事業をやるんだったら高校までは地元にいてもらいたい」という話が父から出され、そこでようやく継がせてくれる気があることがわかり胸をなでおろしました。

 

 

大学進学で東京に出ましたが、家業のことを考えての上京ではありませんでした。実は小学生の頃から「ロボコン」がやりたくて(笑)。その夢を叶えるための進学先がたまたま東京だったというだけの話です。

 

ただ、他の企業で働く経験は佐賀に戻ると難しくなるので、大学院卒業後は都内の戦略コンサルティング会社に入社しました。そして、結婚相手を見つけたら佐賀に帰ろうと考えていたんです(笑)。

 

工学部出身ということで、コンサルティング会社では、最初は通信ハイテク事業に配属されましたが、後々希望していた菓子や飲料メーカーの仕事をすることができましたし、新規事業戦略から営業戦略、M&A戦略など多くの経験を積めました。

東京で出会った夫を連れて家業へ、3人の子どもを出産後社長に

ーーその後家業に戻られますが、その時点でお父様が社長。どのような流れで事業承継されたのでしょうか?

 

父は、社長業を早く私に譲りたがっていました。経営者仲間が次々に子ども世代に社長業を渡していくのを見ていたのも大きかったでしょう。ただ、当時私は妊娠中で社長業は大変だろうという母の助言もあり、実際には子どもを3人産んで少し落ち着いた時期に事業を承継しました。

 

ーー副社長であるパートナーの方のことも伺えますか?

 

結婚相手とは、コンサルティング会社の同期として出会いました。彼にも家業がありましたが、大学生の頃に閉業していました。事業を経営していると、24時間365日そのことを考え続ける必要もあるので、企業勤めの人とはどうしても感覚値がズレてしまうと感じていました。その点、夫は自分でビジネスを興したいと志してコンサルティング会社に入社していたので、一緒に佐賀に帰ってきてからも二人三脚で事業に向き合えました。

 

ーー事業承継してからたくさんのチャレンジをされてますね。

 

自分の中では「やるべきこと」を粛々と、淡々とやってきた感じです。

 

私の根っこにあるのは、「竹下製菓のお菓子をたくさんの人に食べて欲しい」というシンプルな願いです。弊社のお菓子を口にして喜んでくださっているお客さんの笑顔がすごく好きで、まるで我が子が認められたような気持ちになるんです。お菓子は生活必需品ではありませんが、好きなお菓子が一つあれば人間はハッピーになれますから、できるだけ多くの方に届けたいですね。

 

M&Aも行っていますが、最初はBCP(事業継続計画)の観点からでした。私が佐賀に戻ってきてから九州で自然災害がいくつも起こり、危機感を覚えました。

 

幸い、弊社工場は大きな被害は受けませんでしたが、他の企業の工場が何か月も止まったという話は耳にしました。中小企業である弊社に他エリアの工場が必要だとは当初考えていませんでしたが、調べてみると、同じ企業規模の会社で複数拠点を持っているケースがあるとわかり、商品の安定供給のため実行に踏み出しました。

 

東京で暮らしていた頃に、九州出身の方から「ブラックモンブラン好きなんだけど、こっちでは売ってないんだよね」というお声も多くいただき、その言葉にも背中を押されました。

 

他には、廃棄ロスを減らしたり、生産性と利益率を向上させたりと、経営者として当たり前の取り組みをずっとコツコツやっている感じです。

 

ーー先代が始められたホテル事業にも力を入れていらっしゃいますね。

 

はい。本業は菓子メーカーで、ホテルはサブ事業という位置づけですよね、とよく言われるのですが……。とはいえ、私が社長になった時点でホテル事業の歴史はすでに20年近くありました。確かに売上割合から見たら「サブ」と捉えられるかもしれませんが、そこで働いている方々にしたら「サブ」と位置付けるのは失礼ですよね。だから、ホテル事業も自分にとっては「本業」としてしっかりやらなくてはと思っています。

 

ホテル事業に力を入れるもう一つの理由としては、経営者としての危機管理ですね。インターネットがここまで発達した今、何か不祥事が起きたら瞬く間に拡散され、取り返しのつかない致命傷になりかねません。最悪倒産してしまうかもしれない。そういう事態を想定して事業ポートフォリオを組み、片方に何かあった時にもう片方が支えられるよう、同規模の事業を複数持つ必要があると考えています。

あえて変えなかった、「らしさ」を感じられる経営理念

ーー波乱万丈な歴史がありつつも、100年以上続いた理由は何だと思いますか?

 

ひとえに運がよかったのだと思います。そして、祖父や父が誠実に真面目に事業に向き合い、社員さんたちの力添えもあったからでしょうね。商品開発における発想力や努力ももちろん要因としてはあったと思いますが、それはどの企業でもやっていること。ですから、愛され続けるヒット商品を生み出せたのは本当に運がよかったからだと考えています。

 

私自身、見えないものに助けられている実感があります。例えば、コロナ禍ではホテル事業が大変だった時。当時、子どもたちがある程度成長して、私も元気に動ける状態だったのでピンチに対処できました。もし子どもたちがもっと小さい時期にコロナ禍に見舞われていた大変だったはず。

 

またホテルのフランチャイジーを変えた後だったので、FC本部からの助けも得られました。そういうふうに「見えないもの」の力に助けられているんだなといつも心のどこかで感じています。

 

それはきっと祖父や父が徳を積んできたから。その徳を私が消費してしまっているのかもしれません。私も次世代のために徳を積まなきゃと思っています。

 

ーーそれは経営理念とも繋がっていますか?

 

弊社の経営理念は父が作ったもので「美味しい楽しい商品を作って社会に奉仕する」です。残念ながら経営理念を定めた経緯を聞く機会はなかったのですが、父は道徳経営を独自に学んでいたので、それをきっかけに策定したのかもしれません。私に社長業を譲った際、「この理念を変えてもいい」と言ってくれました。ですが、私は理念に「楽しい」が入っているのが竹下製菓らしいと残しています。

 

 

例えば、アイス棒の当たりくじ。これを続けているのにも理由があります。それは「食べ終わった後まで楽しい」を提供したいから。「美味しいこと」は食品メーカーにとって当然のことですし、企業は社会の一部なので社会に貢献するのも当たり前のこと。そこに「楽しい」という要素を加えるのが竹下製菓のアイデンティティーだと思っています。

 

また、仕事に関しても、生きるためだけに「こなす」のではなく、やりがいのある仕事を楽しくやっていきたい。「楽しい」という言葉に私自身とても共感できたので、理念は変えずにこの方向性を受け継ぎました。

 

この経営理念は朝礼で毎回最初に唱和していますし、毎週開く責任者会議でも必ず唱和しているので、全社員に浸透していると思います。

 

ーー「楽しさ」を体現する取り組みが他にもあれば教えてください。

 

くじ付きアイス以外にも、「楽しさ」を伝える方法としてイベントやキャンペーンを企画しています。地元の新聞広告やテレビCMに出稿する時は、ただ商品をPRするだけでなく、楽しんでもらえる要素を入れるように意識しています。

 

例えば、自分のブラックモンブランを家族に勝手に食べられないようにカモフラージュするパッケージを考えてもらったり。クスッと笑えて、「次はどんなことをするのだろう」と、竹下製菓の取り組み自体にワクワクを感じてもらえるような企画を仕込んでいます。

 

 

ーーこれからの竹下製菓としての未来に向けた展望をお聞かせください。

 

日本、そして世界に向けて、多くの皆さんに竹下製菓の商品を食べていただきたいですね。やっぱりそれに尽きます。関東地区でも取り扱い店舗が増えてきたこともあり、おかげさまでブラックモンブランの全国的な知名度は上がってきています。ですが、海外市場に対してはまだ手が打てていません。実は、私自身が語学に対して苦手意識がありまして…(笑)。壁を乗り越えなきゃいけませんね。

 

そして、個人的にはブラックモンブランに並び立つ商品を作り出したいです。

 

ーー「ブラックモンブランを超える商品を」という挑戦は先代から親子2代続けてとなりますね。

 

開発部隊も根気強く頑張ってくれていますし、会社としてもさまざまな手を打っていますが難しい挑戦だと痛感しています。

 

次の100年の展開を考えると、ブラックモンブランだけで生き残れない可能性も正直高い。一つの商品をじっくり育てる時代ではなくなってきているとは感じますが、それでもブラックモンブランを超える商品を生み出すことは決して諦めない。やり続けることで道ができあがるのだと信じています。

 

もしかしたら、次の100年で時代は大きく変化するかもしれません。もしかしたら、すべての栄養素はカプセルやサプリで摂取するようになっているかもしれない。それでも、弊社は「美味しい」「楽しい」を何かしらの形で提供する会社であり続けたいと思います。

 

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竹下製菓株式会社 

竹下 真由さん

1981年生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科経営工学専攻修士課程修了、経営コンサルティング勤務を経て、2011年に竹下製菓株式会社入社。2014年に同社 商品開発室室長就任。2016年より現職。2020年に埼玉県にある冷菓メーカー「スカイフーズ」を子会社化、2022年に岡山県にある製パンメーカー「清水屋食品」を子会社化。グループ会社「竹下コーポレーション」の代表も務める。

会社情報

社名
竹下製菓株式会社
代表者
代表取締役社長 竹下 真由さん
本社所在地
佐賀県小城市小城町池上2500
従業員数
96人(2024年4月時点)
創業
1894年
事業内容
冷菓・菓子製造販売
会社サイト
https://takeshita-seika.jp/
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