26歳で家業へ戻った6代目社長が仕掛ける、
起死回生の店舗リブランディング
興味のあるトピックが一つでもあれば、この記事がお役に立てるかもしれません。
- 脱サラして実家の家業を継ぐことになったが、経営状態があまりよくない。
- コストカットで経営改善を実現したが、成長路線が描けていない。
- 時代に合ったリブランディングをしたいが、社内をまとめられない。
- ブランディングの投資対効果がイマイチよくわからない。
福岡を拠点として九州エリアで「おこわ」を中心としたお弁当、お惣菜の店舗販売を手がけるニシコーフードサービス。創業63期目を迎える老舗企業を率いるのは、創業者の孫で6代目社長の甲木雄平さんです。
26歳でサラリーマンを辞め家業に戻った時は、経営が思わしくなく苦しい状況にありました。そこから不採算店舗を閉じ、成長路線を描こうと格闘する中で仕掛けた起死回生のリブランディング施策とは?
2代目社長の父が16歳の時に亡くなり、26歳で家業に戻り…
ーー最初に「ニシコーフードサービス」さんについて簡単に教えてください。
弊社は、現在九州エリアに15店舗ほど直営店を展開しているお弁当、お惣菜の会社です。主力商品は「おこわ」。福岡県八女市に本社があり、店舗網は福岡を中心に、大分、鹿児島、熊本、長崎に広げています。従業員は120人程度で、売上規模は7億円強です。
私の祖父が1961年に創業した会社で、今年で63期目を迎えます。もともとは「西日本酵素株式会社」という社名で、たい焼きやたこ焼きを作るための製菓機と、その原料である粉「酵素剤」を製造・販売していました。祖父の時代は「機械と粉」を全国の百貨店の催事に持ち込んで、たい焼きやたこ焼きを実演販売していたそうです。そこから、さまざまな食品を手がけるようになり、その中に現在の主力商品である「おこわ」がありました。
2代目の父の時代には、従業員が毎回百貨店の催事に出張するというスタイルに限界を感じ、百貨店に直営店を出すというスタイルに切り替えました。そこから全国の百貨店に直営店をがんばって増やしてきたというのが、ざっくりとした弊社の歴史です。
ーーお祖父様、お父様、そして雄平さんと続くわけですね。ということは3代目ですか?
いえ。実は、私が16歳の時に父親が亡くなったんです。あまりにも突然の急逝だったため、その後は母と古参の幹部がなんとか引き継いで、経営してくれていました。私には6つ年上の兄がいて、兄は私よりも3年ほど早く家業に戻り、そこに私が合流する形で2人で経営体制を引き継いできました。
それが5年ほど前。当時の経営状況はお世辞にもよい状況とは言えませんでした。私よりも一足先に戻っていた兄が、不採算店舗の退店などを進めており、百貨店を中心に27店あったものを21店まで縮小。それにともない従業員も80名程度に減りました。そうしたコストカットにより何とか経営を立て直そうとしたものの、次の展開、つまり成長路線をどう描いていいのかはわからなかったのです。この先、自分たちは何を武器にして闘っていけばいいのだろうか、と悶々としていて、それに追い討ちをかけるようにコロナ禍が始まりました。
当時は、扱っている商品の幅も広く、店舗ごとに差別化ができていないブランドが各地に乱立している状態にありました。その中で、どのラインナップのどの商品がお客様から一番支持を得ているのかを把握できていませんでした。つまり既存事業のうち何を伸ばせばいいのかわからない。闘おうにも、その拠り所を自力では見つけられずにいました。
リブランディング施策で一番手間ひまをかけた意外なこと
ーーその状況を「店舗のリブランディング」という方法で解決されたわけですが、なぜその方法に採用されたのですか?
正直、私自身「会社の成長路線を描けない」という課題の解決策が「店舗のリブランディング」であると考えていたわけではありません。ただ、創業から60年以上経った「ニシコーフードサービス」が、次の時代を何で闘っていくかの「拠り所探し」が結果的にリブランディングに繋がった、という感じです。
まず「理念ラボ」の理念浸透アドバイザーの方と二人三脚で、創業からの歴史を丁寧にひも解いていきました。当時の店舗の様子がわかる写真を探したり、古参の社員から直接話を聞いたりして、「ニシコーフードサービス」は一体何屋さんなのか?と突き詰めて考えていきました。とても地味な作業でしたが、この過程が、リブランディングの確固たる土台となったと強く感じています。
歴史をひも解いた一番の成果は、「ニシコーフードサービス」が創業以来一貫してお客様や地域に提供してきた「価値」が明確にわかったことです。私たちは食品の会社ですが、扱っている商品がたまたま食品であるだけで、本当の存在価値はまったく別のところにありました。それは「活気づけること」。賑やかな店舗を通じて、お客様に買物をすること自体を楽しんでもらい、その結果として地域が元気になること。祖父が「機械と粉」を売り始め、父が百貨店に直営店を展開し、そして今に至るまで「ニシコーフードサービス」が変わらずやり続けてきたことは、人と地域を活気づけることだったのです。祖父や父がそのことを認識してたかどうかは確かめようがありませんが、過去を丁寧に振り返ることで腑に落ちて理解することができました。
その発見が、コロナ禍中の苦しい時期に着手したリブランディング施策の、すべての起点となりました。最終的に定めたコンセプトが「気のいい、おいしさ」。今ではこれが弊社のコーポレートスローガンになっているほど、大切な軸です。
コロナ禍でも新ブランドで既存店の2倍の売上を稼ぎ出す
ーー「気のいい、おいしさ」というコンセプトが決まったことで、リブランディング施策を推し進められたわけですね。
はい。会社としての提供価値が定まったことで、それを今の時代に合わせてどのような形で表現していけばいいのかを考えられるようになりました。新しい店舗モデル、新しいブランド、新しい商品…今後何を生み出していくにも、方向性がものすごく明確になりました。
ーーそうした中、新しい挑戦としてショッピングモールに出店されました。
はい、2021年の秋には、リブランディングの新しい挑戦として「かつきや」ブランドのショッピングモールへの出店を果たしました。「かつきや」のコンセプトは「気のいいお店」。コロナ禍の真っ只中でしたが、「かつきや」の1号店は既存店の平均単月売上の2倍を稼ぎ出し大成功でした。
もちろん、売上という数字の結果も嬉しいですが、何よりも、新しいブランドに対して経営層も従業員も揺るぎない自信が持てるようになったことが一番の収穫でした。今後もこのブランドを拡大させ浸透させていけば、必ずいい結果が出る。そう信じられるようになったのです。
リブランディングの副産物ーー商品力の強化、従業員の育成、採用のミスマッチング減
ーーリブランディングの効果は他にもありますか?
店舗づくりがやりやすくなったことの他には、商品設計や、従業員の採用・育成に関してとてもいい効果がありました。
「気のいい、おいしさ」には、2つの側面があります。一つは先ほどお話したように、活気があって気持ちのいい接客販売ができること。もう一つは、自分たちの物づくりに「いい気」を込めることです。例えば、原材料の調達。以前は安直に「とりあえず安い仕入れ先を選んでおこう」と考えていました。でも、最近では、どのような生産者さんが、どのような意図をもって、どのように製造しているのかを細かく調べた上で慎重に原材料を選ぶようになりました。
たとえ手間がかかっても、非効率であっても、どのように商品を作ることが「いい気」に繋がるのかを組織全体で考える習慣が定着しました。こうして「物づくり」にこだわり、製造方法を変えた商品に関しては「絶対にこっちの方が美味しい!」と自信を持って店舗に出せるようになりました。
また「人」にまつわる部分は、リブランディング以前はかなり感覚的にやっていたので失敗も多かったように思います。でもリブランディング後は、自分たちがやりたいことを言葉でちゃんと従業員や採用候補者に伝えられるようになりました。
「気のいい、おいしさ」というコーポレートスローガン、「『古き良き日本』を、再び。」が商売を通じて私たちが実現したいミッション、そしてそれを形にするために仲間に求める行動がバリューです。従業員に対してはバリューに沿っているから「良い」、バリューから外れているから「良くない」と明確に伝えた上で評価できるようになりましたし、採用の際も面接でコーポレートスローガンとミッションをきちんと説明するようにした結果、採用後のミスマッチが減りました。企業理念に共感するならぜひ入社して欲しいし、もし共感しないならお互いにいい結果にならないから入社しない方がいい。そういう姿勢で採用面接に臨めるようになったのは大きな変化です。
新ブランド成功の陰に「既存ビジネスのふて腐れ」を生まないために
ーー新規店舗は大成功でしたが、既存店舗にはどういう施策をしましたか?
新ブランド「かつきや」が成功し、「これを伸ばしていけば大丈夫」という確たる自信がついたことはよかったのですが、一方で、百貨店中心に展開していた既存店舗とそれに関わる従業員が社内で置いてきぼりにされるのではないかという危機感が生まれていました。そこで既存店舗もリニューアルし、「かつきや」と対をなす強いブランドに育て直そうというプロジェクトをスタートさせました。
それが「吉祥庵」です。「かつきや」と比べ高級路線でターゲットの年齢層もやや高めです。でも、根っこにあるものは同じで「気のいい、おいしさ」です。この1年半ほどの間に「かつきや」の新店舗を4つ出店しつつ、既存店舗の「吉祥庵」へのリニューアルも推し進めています。その結果、全従業員の間で一体感が出てきました。
ーーサラリーマンを辞めて家業に戻られてから5年。大きな変化ですね。
まだまだこれからです。ただ一つラッキーだったのは、リブランディング施策をスタートさせた頃にちょうどコロナという外的試練が訪れたことだったかもしれません。外食産業ほどではなかったにしろ、やはり売上はガクンと落ちたので、「急激な変化を起こさなければピンチを乗り越えられない」と社内がまとまりやすく、物事がスピーディーに前進したと感じています。
ーーこの先の展望を教えてください。
ブランドの土台が築けて、やっと「成長路線」を描けるようになったのでまずは会社を成長させていきたいですね。「かつきや」と「吉祥庵」ーー両方のブランドを立地などにより使い分けながら、売上を伸ばしていきます。そして、同時進行で自社の「物づくり」を深く掘り下げていきたいと考えています。原材料の選定の仕方を含め、提供している商品の背景を骨太にしていきたい。自分たちの商品に対してどこまでも胸を張れるように、誇りを持てるようにしたいですね。
とはいえ、まだ全国展開は考えていません。あくまで九州という土地と風土に深く根づいた企業としてがんばっていきます。原材料に関しても「九州産」を優先的に選ぶようにしていますし、少なくとも10年は九州でものづくりをもっともっと極めていきます。その先でしっかり会社が成長できていれば、全国や海外にも目を向けることもあるかもしれませんが、まずは九州です。
家業は「親が敷いたレール」ではないーー幸せな経営者であるために
ーー甲木さんのように会社員を辞めて家業を継ぐ20代、30代の経営者の方は少なくないと思います。そうした同世代の経営者にメッセージがあればお願いします。
私は経営者として道半ばなのであまりおこがましいことは言えませんが、唯一自信を持って言えるのは、今、毎日の仕事がとても楽しいということです。自分たちがやっている商売に対して、ものすごく価値を感じながらやれている。家業だから仕方なくやっているという感覚は1ミリもないんです。
「家業」というと親に敷かれたレールの上を歩くというようなネガティブなイメージがあるかもしれません。でも、やっぱり、一人の人間の人生として、やりたいことして「家業」をやれていれば、自分個人の人生をよりよくしていくことにも繋がると思います。そんなふうに「家業」をやれたら幸せなんじゃないかな、と。
私の場合はリブランディングを通じて「気のいい、おいしさ」という軸に出会えたことで、自分の日々の仕事にさらに強い価値を感じられるようになりました。私の代で再発見したその軸が本当に正しいのか、タイムスリップして祖父や父に直接確認することはできません。でも、正しいと信じて従業員と一緒に前に進んでいける拠り所が持てたことはとてもありがたいと感じています。
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事例が豊富にございます。
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株式会社二シコーフードサービス
甲木 雄平さん
1992年生まれ。大学卒業後は、ブライダル上場企業にて勤務し、26歳で家業へ入社。常務取締役として、コロナ禍で経営改革を牽引し、2023年8月より、母・兄から経営を引き継ぎ、31歳で代表取締役社長に就任。
会社情報
- 社名
- 株式会社二シコーフードサービス
- 代表者
- 代表取締役 甲木 雄平さん
- 本社所在地
- 福岡県八女市立野127-2
- 従業員数
- 約120人(2023年時点)
- 創業
- 1961年8月
- 設立
- お弁当、お惣菜の製造販売、店舗展開
- 会社サイト
- https://nishiko-fs.co.jp